笑いの飛距離

元・お笑い芸人のちょっとヒヒ話

その人の人格や生き方が表れるのが芸

私が毎週楽しみにしている番組に、阿川佐和子さんがゲストと対談する「サワコの朝」があります。

少し前の放送になるのですが、作家・岩下尚史(いわしたひさふみ)さんが出演していて、日本の伝統芸能との付き合い方について語っていました。私は、自分のお笑いに対する接し方と重ねながら、対談を興味深く見ました。今でも、録画を消さないで見返したりしてします。

岩下さんは、日本の伝統芸能の魅力をちょっとおネエっぽい口調で語るキャラクターが受けて、現在バラエティ番組でも活躍中です。すぐに顔が浮かばなくても、画面で見たら「あっ、この人か」といった具合に思い出す方も多いのではないでしょうか。

日々の暮らしから遠い存在になったときに芸能から伝統芸能へ

2013年7月20日放送「サワコの朝」(TBS)

司会は阿川佐和子。
ゲストは岩下尚史(作家)。

まずは芸能の定義について阿川さんが尋ねます。

阿川「あの~、ちょっと基本的なことを伺うんですけど、芸能ってモノは、どれどれどれを指すんですか?」
岩下「芸能っていうのは」
阿川「歌舞伎も芸能?」
岩下「もうあらゆることが芸能じゃないですか、お花もお茶も」
阿川「日本舞踊も?」
岩下「日本舞踊も、それから和歌、俳諧、確かに今芸能っていう場合は、能とか歌舞伎とか、まあ人形浄瑠璃とかっていうことを指すことが多いですね」
阿川「うん」
岩下「でも、本来もっと幅が広かったと思います」

その芸能が、伝統芸能という別枠で捉えられてしまうことがあるのはなぜでしょうか?

岩下「そうですね、なぜ別枠で伝統芸能だって言われ始めてきたかというと、私たちの暮らしとどんどん遠くなってるからじゃないでしょうか?」
阿川「あ~」
岩下「私らが子供の頃までは、遠いままだったんですよ」
阿川「あっ、むしろ今よりその頃のほうがそうですか?」
岩下「そうですよ」
阿川「ほ~」
岩下「と思いません?その頃、興味のある人は見に行ってたけど、大半の人は無関心だった」
阿川「そうね~」

昔に比べると、伝統芸能への関心が高まっている状況にあるそうなんですが、そこに疑問を抱いている岩下さん。

伝統芸能を知識として観に行く人が増えた

岩下「ところがね、この10年ぐらいかな?能でも歌舞伎でも、日本の伝統芸能だから知識として観に行こうという人たちが増えたんじゃないでしょうか」
阿川「うん」
岩下「ですからこの10年ぐらい、いやにそういう雑誌とかでも特集が多かったりしますね」
阿川「それで岩下さんが人気になってるっていう」
岩下「あたくし、それほど人気ないです」
(スタジオ笑)

ここで岩下さんは聞きます。阿川家は鏡餅をどういう風に飾るのですか?と。その問いに、思い出しながら答える阿川さん。

岩下「ほら、段々こうやって伺ってると、どんどん出てくるじゃないですか」
阿川「あ~、なるほどね」
岩下「で、それで、それをお引き継ぎになれば、阿川家のお正月飾りは繋がるんですけど、つまり、それがいわゆる伝統文化の元だと思うんですね」
阿川「うん」
岩下「つまり自分の家の鏡餅の飾り方も分からないで、能だ、歌舞伎だっていうことを観に行って、博物館に行って、いくらそれについて詳しくなったって、私はちょっとそれはしようがないんじゃないか?っていう風に」
阿川「っていうか、面白くないですよね、なんか自分と繋がる線が1本あるから、観てて面白いとか」
岩下「ですよね、本当は、自分で帯も締められない、お茶も立てれらないじゃ、歌舞伎芝居も本来は味わうこととは遠いんですが」
阿川「そっか、はい」
岩下「つまり、今は関係性がすごい水臭くなってます、いろんなことが
阿川「水臭い?」
岩下「水臭い、なんか知識を通して、誰か言った解説を通して物事を見るとかっていうことが多いですね」
阿川「うん」
岩下「ですから、もっと自分で触ったり、嗅いだり食べたり舐めたりして、それこそ芸能も、味わい尽くさないと、触れて……そうしないと演じてる人たちも甲斐がないし、こちら側も喜びが少ないような気がします」

岩下さんが伝統芸能に魅せられたきっかけは、六代目・中村歌右衛門。幼い頃に見た、戦後の女形最高峰と呼ばれた歌舞伎役者でした。

女形六世中村歌右衛門

女形六世中村歌右衛門

六代目・中村歌右衛門の魅力は人格

岩下「親泣かせだと思います、だって、その頃男のくせに中村歌右衛門に魅入られて、歌舞伎芝居は観に行く」
阿川「なにがきっかけで、出会ったんですか?」
岩下「さぁ……出会ったっていうか、自然に、劇場に行くようになってました」
阿川「へぇ~」
岩下「ですから、それも歌舞伎が好きだとかじゃなくて」
阿川「うん」
岩下「歌右衛門観たいから歌舞伎座に行くとか、初代の水谷八重子さんが好きだから、演舞場とか明治座に観に行くとか、なんかジャンルを好きとかじゃなくて、その人の芸が好きだった
阿川「芸が好きだった」
岩下「はい」
阿川「で、ちょっとこう良い芝居をやると、『あ~、いいな~』って語り合う人は?」
岩下「だ~れも居ないですね」
阿川「でも、つい自分がこう観たモノとか感動したモノ、知った知識っていうのを誰かに話したくなったりしますでしょ?」
岩下「あ~、それはないですね、あとその、今おっしゃった知識ですか、私は知識欲で観ているわけじゃない、今でもないし、昔から」
阿川「うん」
岩下「この役者、この女優に、おっ惚(ぽ)れて観に行くわけですよ」
阿川「おっ惚れて?」
岩下「ええ、ですから、歌舞伎のことを知りたいとかっていうんで、本を読んで知識を集めて観に行くとか、誰か劇評家の先生の目を通して観るとかっていうことではなかったもんですから」
阿川「じゃ、すみませんが、歌右衛門さんの魅力はなんでしたか?」
岩下「あの~、やっぱり、人格、おほほほっ」
阿川「舞台の上でも?」
岩下「芸っていうのは、なんか仕草とか、台詞回しとかっておっしゃる方も多いんですけど、私はよく分からないんですけど、ちょっと説明もどうしていいのか分からないんですけど、つまるところ芸っていうのは、その人の人格なんだと思います、その人の生き方、っていうのが表れるのが芸だと思ってて、中村歌右衛門も、初代・水谷八重子も、みんな、つまりその、人格がきっと素晴らしかったから、年端もいかない子供にも心に響くモノがあったんだと、今でも思います」

阿川さんは、伝統芸能そのものが目的ではなく手段にしている立場にあえてなって、そこで生じる疑問をぶつけていくことで、岩下さんの持論を引き出していったように見えました。こちらの勝手な解釈ですが、私は阿川さんにも感心してしまいました。