笑いの飛距離

元・お笑い芸人のちょっとヒヒ話

「型」をズラしていく人のほうが生き残れる

前回は『今田耕司「皆売れるとタレ目になってくる」』という記事を書きました。

これを書くきっかけとなったのが、文芸誌の『群像』に掲載されている連続対談「今夜、笑いの数を数えましょう」。いとうせいこうさんとバカリズムが笑いについて考察するトークイベントなのですが、そこで語られた「笑顔の重要性」に注目して、今田さんの持論へと繋げました。

実はもうひとつ、この対談を読んで考えさせられたテーマがあります。それは「狂気の線をどこに移動させるか」という問題です。程度の差はあれど、表現者なら誰もが抱く悩みなのかもしれません。

バカリズム「笑いが少なくても寒くなければいい」

2018年1月6日発売『群像 2018年2月号』(講談社)

聞き手は、いとうせいこう。
ゲストはバカリズム(升野英知)。

バカリズムがネタ作りで意識しているのは、「寒くないことをやるにはどうしたらいいか」。つまりスベりたくない。その姿勢は徹底していて、「笑いが少なくても寒くなければいい」とまで言うのです。

いとう すべらないほうを取るのか。その中でもすべらないやつで実験的なものは優先的にやってみるわけでしょ?
升野 それは誰もやったことがないから、寒いも何もないなと思って
いとう 反応すらできないかもしれない、ってこと?
升野 そうですね。お客さんが、寒いと感じる前に、これ何だろうと考えさせる。むしろ、笑えない自分がセンスないのかなって思わせるくらい。

初期のダウンタウンはこの手法を得意としていた気がします。

そして誰もやったことがないネタの例として、バカリズムがコンビ時代に作った「ファミレスでクワガタを注文するコント」を挙げ、このネタの構造を解き明かしながら話が進んでいきます。

升野 お客さんの想定内のことをやってしまうと、すべった時に余計寒くなる。想定外のことをやれば、ウケなかったとしても、ダメージが大きくないんです。新しいとなるから。やっていくうちにたぶん笑い声もついてくるだろうみたいな感じですね。

でもそうやって客の理解が追いついた途端、「想定外のネタ」は「想定内のネタ」に変化してしまいます。もちろんそれでも十分ウケるでしょう。しかし、バカリズムにとっては「ウケること」よりも「寒くないこと」のほうが重要なので、このリスクを看過できません。

いとう となると、この構造自体を変えなきゃならない、疑わなきゃならないということになるよね?
升野 僕はそこでさらに世界をおかしくしたい方向に走り始めたんですけど、こうなるとお客さんもまったくワケがわかんない(笑)。
いとう ナンセンスはホントに境界線の引き方が難しいよね。今言ったクワガタのあたりで初見の人はウケるのかもしれないけれど、二回目見た人はどうなるか。あるいはそういうコントをやるヤツらだと知っていた人の前でやる時に「ああ、クワガタで来たのか」と思われちゃう場合、この狂気の線をどこに移動させるか。これは客によっても違うし、迷うよね。

このような問題意識を持って戦っているのは、芸人だけではありませんでした。

笑いは「副産物」で作る

2017年7月2日放送「ボクらの時代」(フジテレビ)

出演者は万城目学、森見登美彦、上田誠。

万城目学(まきめまなぶ)さんは京都大学卒業後、30歳のときに『鴨川ホルモー』で作家デビュー。森見登美彦(もりみとみひこ)さんも同じく京都大学出身の作家で、彼が原作の映画『夜は短し歩けよ少女』の脚本を担当したのが、劇団「ヨーロッパ企画」主宰の上田誠(うえだまこと)さん。上田さんも同志社大学を出ており、3人とも関西出身という共通点があります。

ツービートの漫才とダウンタウンの漫才は別物である。自分たちは間が空くことが不安で、そこを全部しゃべりで埋めていた。しかしダウンタウンは間が空くのを恐れず、それどころか間を空けることによって笑いを生む。こうビートたけしさんがダウンタウンの漫才について語ったことを、2人に伝える万城目さん。

このエピソードを持ち出した意図は、どうやって笑いを作っているのかを別ジャンルで活躍する上田さんに聞くためでした。万城目さん自身は「ここ笑わすとこですよ」という意識はなく、ただ真面目に小説を書いているだけなのだそうです。

上田「『コメディドラマをやろう』って難しくて、だけど、例えば『ハードボイルドドラマをやろう』の副産物で、でもちょっと笑えるとか、だから割とその、笑いってこう、やっぱりズレのものなんで」
万城目「ズレ」
上田「笑いをやろうとすると、別のことをちゃんと真面目に……」
万城目「うん、基本、真面目にやってるところに入ってくる」
上田「っていう感じが」

笑いに対する認識は両者似ていました。

万城目「脚本ってどうやって勉強するんですか? 先輩の書いた……」
上田「それよりは我流の方法を、演劇に持ち込むほうが面白くて、例えば僕はゲームが好きなんで、そのスーパーマリオブラザーズの、あれを舞台に例えたら、マリオは結構画面の上のほう行くじゃないですか、でも演劇の舞台って、結構下のほうでやってるじゃないですか」
万城目「はい」
上田「もっと上下使えば面白いのになって、独自のものじゃないと嫌だとかって、僕結構あるんですけど

下北沢の本多劇場でヨーロッパ企画の舞台「来てけつかるべき新世界」を観劇したとき、確かに舞台の上にも目線が向いていたことを思い出しました。いきなりドローンが登場したりして。

上田さんの発言に触発されたのか、このあと万城目さんが「型」についての持論を展開します。

他人の「型」を使いたくない

例えばツイッターとかで見かける「なんて俺得」「大草原不可避」といったフレーズは「型」であり、そこにオリジナリティはない。そういう他人の「型」を安易に使うのは避けたいと語る万城目さん。でも実際にやろうとすると簡単ではありません。

万城目「皆が皆ね、そんな自分の表現できるわけないから、簡単に借用して、でも、自分でももう忘れてる」
上田「あ~」
万城目「これが型ってことを忘れてる、センサーを働かせていたいです」
上田「うん」
万城目「これは型やからワシは使わない、そっちのほうが、なんて言うのかな、生き残れると思うんですよね

「他人の型を使わない」。それはつまり「競争相手がいないところに行く」という意味ではないかと森見さんは言います。

万城目「結局そういうことなのかな?」
森見「やっぱりその型を上手に使う、そこに乗り込んでっても、それはやっていけなそうなんで、あんまり型が通用しないところに行くほうが、って割と僕はそんな感じなんですよ」

ところが、競争相手がいない場所を見つけたとしても安心できません。なぜなら今度は「自分の型」との戦いが待っているからです。

型破りがものすごい速度で「型」になってしまう

万城目「森見さんもね、京都というずっとあった型から外れたところで書き始めたから、『うわっ、オモロい、この人何? こんな京都の書き方あったんや』みたいな」
上田「「はいはい」
万城目「それをずっと京都で続けて、京都作家となった今、森見さんというのが、ひとつの京都の型になってしまい」
上田「あ~」
森見「自分もそれで苦しめられる」

まさにバカリズムの「想定外のネタ」が「想定内のネタ」になってしまったときに生じる苦悩と重なります。

上田「これやって、なんとなくウケたなってなってるときに、そこに居続けたら途端に駄目になるんで
森見「あ~」
上田「まだお客さんも喜んでくれてる、劇団員もいいなってなってる、『次もこういうのやろうや』っていうときに、1個先、次行かないと、終わってしまう感覚すごいあるんですよ」
森見「ものすごい速度で型になっていくからっていう」
上田「そうそう! そういうことですね」

ただ難しいのは、受け手は必ずしも「型」を忌み嫌っているわけではない点です。

森見「やっぱりその型を観てる人も、上田さんの場合だったら舞台観に来る人、僕とか万城目さんだったら読者、その人たちも、ある意味、型を期待するじゃないですか」
万城目「そうなんです」
上田「そうそう」
万城目「その通りなんです、気持ち良さをもう一度っていう」
上田「それも、欲しいんですよね」
万城目「そういう人っているんですかね? 自分で2回、3回と脱皮していって全然違うようになっていく人って」
上田「例えばさっきの、たけしさんとかって芸人から外れて急に映画を撮られたりだとか」
森見「ズラしていく人しか、やっぱやっていけないんじゃないですか
万城目「うん」

この会話を聞いているとき、個人的にバカリズムと有吉さんの顔が浮かびました。

夜は短し歩けよ乙女 映画カバー版 (角川文庫)

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このままだと「トツギーノの人」で終わってしまう

2010年11月27日放送「トップランナー」(NHK)

司会は箭内道彦、田中麗奈。
ゲストはバカリズム。

ピン芸人として再出発してすぐにブレイクしたバカリズム。そのきっかけとなったのが「トツギーノ」のフリップネタでした。

このネタのおかげで今があるとバカリズムは感謝しつつも、半年ぐらいで一切やらなくなったそうです。なぜでしょうか。

バカリズム「半年ぐらいでもうピタッとやめたんですよ、『なんかちょっと、あっ、これマズいな……』と思って、このままだとトツギーノの人になっちゃうから
箭内「うん」
バカリズム「もう街歩いてても『トツギーノだ!』って、(芸名が)トツギーノだと思われてたんですよ、僕が」
(スタジオ笑)

現在の活躍ぶりを見れば、この決断が正しかったことが分かります。

バカリズム「だからもうあのままやってたら、本当にトツギーノの人で、多分今頃もういなかったと思うんですよ」

これと似たエピソードが有吉さんにも存在します。

このままだと「あだ名の人」で終わってしまう

2012年1月7日放送「ブラマヨとゆかいな仲間たち」(テレビ朝日)

司会はブラックマヨネーズ(小杉竜一・吉田敬)。
ゲストは有吉弘行。

毒を込めた「あだ名」で見事な復活を遂げた有吉さんに、ブラマヨが次の質問をぶつけます。いずれ仕事がなくなって再びあの地獄の日々を送る羽目になるかもしれないという恐怖は、これだけ活躍している現在でも消えないものなのか。

有吉さんの答えはこんな感じでした。その恐怖は今もある、ただし最初の壁は乗り越えたかもしれない。

有吉「まあ、あそこが上手くいったからね、1回乗り切ったなと思ったね、あだ名地獄から上手く(切り抜けた)」
(納得するブラマヨ)
有吉「3年ぐらいあだ名やってて、ちょっと勇気いったんだよね、『あだ名、もうやりません』って言うの、スタッフ絶対言ってくるじゃん」
小杉「どの現場でもやってたわけでしょ」
有吉「うん、番組の最初か最後に、『じゃ、そろそろ有吉、あだ名を』っていう」
小杉「え~! うわっ、つら~!」
有吉「それやるだけだったから、まあそれで頭いっぱいじゃん、(目をキョロキョロさせながら)『あの人のあだ名、どうしようかな……』」
(スタジオ笑)
有吉「そればっかりだから、フリートークとかも全然身が入らないし」
吉田「うん」
有吉「それ(あだ名)だけの人だったから、結構これ危ないなと思って、それでもうスパッと

最近、ビートたけしさんが初の恋愛小説『アナログ』を書いたことが話題になっていました。70歳を過ぎてもこうやって「型」をズラしていく。なんという「分厚さ」でしょうか。