1996年10月に始まった「めちゃイケ」が、2018年3月をもって終了すると発表されました。
21年以上続いたこの番組の輝かしい歴史を語る上で、やはり「めちゃモテ」という前身番組の存在を無視することはできません。
1995年10月にスタートした「めちゃモテ」。時間帯が土曜の深夜で、かつて「夢で逢えたら」を放送していた枠です。つまり「ウンナンやダウンタウンに続く次世代のスターになれ」。そんな期待をフジテレビから背負わされていた気がします。特にナインティナインは。
そして彼らはその周囲の期待に見事応えて、1年後には土曜日の夜8時というフジテレビ伝統の枠に番組が引っ越すことになります。要はゴールデン昇格です。
「めちゃモテ」がなければ「めちゃイケ」は存在しなかった。この当たり前の事実をわざわざ強調してみせたのは、「めちゃモテ」の企画書が、今もなお業界内で語り草になっているという話を番組関係者のラジオで聞いたからです。
一社提供番組はスポンサーにも企画をプレゼンしなければならない
2016年6月24日放送「よんぱち 48hours」(TOKYO FM)
パーソナリティは鈴木おさむ。
アシスタントは岡部茉佑(上智大学生)。
ゲストは前田鎌利(プレゼンテーションクリエイター)。
ゲストの前田さんは孫正義さんのプレゼン資料作りを多数手掛けてきた方で、そこで培ったノウハウを詰め込んだ本(『社内プレゼンの資料作成術』『社外プレゼンの資料作成術』)も出されています。
プレゼンで大切なのは、相手に文章を読ませないこと。そのためには、視覚でパッと内容が理解できるように気を配る。前田さんが番組内で語った様々なテクニックのなかで、これが最も重要なポイントのように思いました。
例えば、フォントの使い分け。安定感があるゴシック体を基本としながら、ネガティブな情報には刺々しいイメージがある明朝体に変えるなどして視覚に訴えるのだそうです。
そしてなにより効果的なのが、文章を短くすること。とりわけ「キーメッセージは13文字以内に納めなさい」と話す前田さん。でも、なぜ13文字なのでしょうか。
前田「人ってパッと見たときに、13文字までだと文章で読まなくても理解できるんです」
鈴木「へぇ~」
前田「有名なのが、ヤフートピックスってあるじゃないですか、タイトル、あれ絶対13文字以内なんですよ」
鈴木「うん」
前田「13文字超えるとクリック率が下がるんで、必ずその記事を読ませたいので13文字以内にするんですよね」
視覚でパッと内容を理解してもらう。この重要性を説かれた鈴木さんは、ここで「めちゃモテ」の企画書にまつわるエピソードを披露します。
鈴木「今となってはテレビの企画書も、写真だ、カラーだ、とバリバリの時代になりましたけど、今からね、何年前だろうな? 20年ぐらい前かな、20年ぐらい前に『めちゃイケ』の前身である『めちゃ×2モテたいッ!』」
前田「はいはい」
鈴木「あれって、とある企業の一社提供番組なんですよ」
前田「へぇ~」
鈴木「で、そうなると、一社提供番組って面白いのが、社内のプレゼンだけじゃなくて、要は企業のプレゼンが大事なんですよね」
ところが当時は主要メンバーだったナインティナインでさえも、「とぶくすり」というコント番組で若者からの支持を得ていたとはいえ、世間から見たらどこの馬の骨とも分からない若手芸人に過ぎませんでした。
この一筋縄では行かない状況で、フジテレビの片岡飛鳥さんが中心となって作った「めちゃモテ」の企画書。これが当時としてはかなり画期的だったと言います。
「めちゃモテ」の企画を前に動かしたのは決定権を持つ人の娘
これまでテレビ番組の企画書と言えば、白黒で文字が書いてあるだけでした。
鈴木「そのときにかなりパソコンとか、そういうことが好きな作家さんが、伊藤さんっていうね、すごい方がいて、で、企画書作るときに、まず表紙に、ナインティナインと武田真治君の写真を貼りつけたんですよ、当時としてはもうそんなことあり得ないわけですよ、カラーで」
前田「うん」
鈴木「20年前ですから、企画書にカラーでナイナイと武田真治君、しかもすっごいオシャレな写真をチョイスして」
さらに最初のページ、普通は企画内容を書きます。
鈴木「『めちゃ×2モテたいッ!』って、つまりモテたいためにいろんなことをやっていくという企画なんですけど、パッてめくると、『あなたは今日、なぜ髪の毛をセットしてきましたか? あなたはなぜ今日のネクタイの色を選びましたか? それはモテたいからです』って書いてあるんですよ」
(スタジオ笑)
鈴木「で、非常にその企画書って面白いなと思っていて、企画がバンッと書いてあることも大事なんだけど、まず読み物として、自分の心にちょっと刺さるというか」
「めちゃモテ」の企画書が伝説たる所以は、次の話です。
鈴木「それでね、面白かったのが、要はそれを、なんかとある企業の人が、決定権がある人が、まだほら、ナインティナインも芸人さんだから……とかってのもあったんだけど、(企画書を)ポンッて家の机に置いといたら、娘さんが『あっ、ナインティナインだ! あっ、武田真治だ!』って、『えっ、人気あるの?』みたいな感じになって、それで話がグッと動いた」
もし企画書の表紙が従来通り白黒で文字だけだったら、机に置いてあっても目を留めずに通り過ぎていたかもしれません。だからこれは偶然というよりも、片岡飛鳥さんらスタッフ陣が手繰り寄せた必然だったのではないでしょうか。
この話で思い出したのが、先日引退を発表した小室哲哉さんのインタビュー記事でした。
小室哲哉が映画『ぼくらの七日間戦争』の音楽を依頼されたのは角川春樹の息子がファンだったから
2014年2月26日発売『ヘドバン Vol.3』(シンコーミュージック)
取材相手は小室哲哉。
聞き手は吉田豪。
インタビューは雑誌の性質上、YOSHIKIさんと組んだユニット「V2」の話がメインでした。
でもそこはさすが吉田豪さん。本筋を守りつつも、安岡力也さんや内田裕也さんとの接点を掘り下げていき、その流れで「ニューイヤーロックフェス」の話題になり、さらにそのフェスで一緒だったザ・スターリンの話で盛り上がったり(小室さんの認識は「米を撒く人たち」)、またその一方でアイドル好きな一面にも迫ったりするなど、まさに「TKのアザーサイド」満載のインタビューになっていました。
恥ずかしながら「TM NETWORK」から「TMN」に改名したちゃんとした理由を、この記事で知りました。あと、それに伴ってなぜロック色が強くなったのかという点も。
そしてインタビューの最後に吉田豪さんが尋ねたのは、角川春樹さんとの交流について。「キース・エマーソンを聴いたのは完全に角川春樹さんのせいですからね」と切り出すと、小室さんが反応します。
小室 ああ、『幻魔大戦』ですね。
――子供の頃、『幻魔大戦』の主題歌を買ったらキース・エマーソンだったっていう。
小室 あれはどういう接点だったのかわからないですけど、僕が『ぼくらの七日間戦争』を担当させてもらったのは、息子さんがTMのファンだったので、『お父さん、この人たちはいいんだよ』っていうことで話が来たっていうことで。そこからのお付き合いです。
映画『天と地と』の音楽も小室さんが担当しました。
小室 『天と地と』は全部プロモーションで角川さんと一緒に周りましたから、全国。打ち上げは必ず全部ありましたし、なぜか必ず隣だったんで。カナダのカルガリーまでロケに来いって言われて、呼ばれてますからね。
そんな濃密な時間を過ごした角川春樹さんについて小室さんは、内田裕也さんと比較しながら「ちょっと神懸ったロックンローラーですね」と評していました。
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