読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

笑いの飛距離

元・お笑い芸人のちょっとヒヒ話

『1989年のテレビっ子』を読んでSMAP中居正広のプロ意識について考える

「仕切れ!」。
戸部田誠(てれびのスキマ)著『1989年のテレビっ子』(双葉社)から引用した言葉です。
どういう状況で、誰が誰に向けた言葉なのか? 続きを確認します。 

レジェンドたちが居並ぶ『いいとも』「グランドフィナーレ」のステージでプロデューサーにカンペでそう指示されたのは、芸人の誰でもなく、SMAPの中居正広だった。

2014年3月31日に放送された「笑っていいとも!グランドフィナーレ」。タモリさんを筆頭に、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、とんねるず、爆笑問題、ナインティナインといったお笑い界のレジェンドが一堂に会した夢の舞台。ここを仕切れるのは中居さんしかいない。テレビの前の視聴者もプロデューサーと同じ気持ちだったのではないでしょうか。少なくとも私はそうでした。
でも『1989年のテレビっ子』を読んで、改めてあの光景について考えていました。こんな重要な役割を任せられるほどの信頼を、中居さんはいかにして勝ち取ってきたのかを。

「ナカイの窓」のセット図に赤ペンを入れていく中居正広

2015年12月11日放送のTOKYO FM「シューカツの王」。

パーソナリティは武井壮。
ゲストは黒川高(日本テレビ)。

黒川さんは好調な日本テレビを支えているテレビマンの一人です。彼が手掛けた番組に、SMAP中居正広がMC(司会)の「ナカイの窓」、ネプチューンをメインに据えた「ネプ&イモトの世界番付」、ほかにも内村光良がMCを務める「スクール革命」や「笑神様は突然に…」などがあります。
武井さんから演者を選ぶ基準について聞かれた黒川さんは、「一緒に作っていける人が好き」と答えました。そしてその代表的な人物として中居さんを挙げたのです。

「ナカイの窓」というトーク番組で最初の顔合わせをしたあと、中居さんはこう言ったそうです。「ちょっと、セット図ある?」。

黒川「(セット図を渡したら)そこで赤ペンを入れ始めて」
武井「うん」
黒川「『こことここの距離、もうちょっと近づけたいな』とか、あと椅子……僕、オシャレな番組にしたかったから、ハイスツール」
武井「はいはい」
黒川「バーにあるみたいな椅子だったんですけど、『トークするには、地に足がついてるほうが喋りやすいんだ』とか」
武井「なるほど」
黒川「いろいろアドバイスもらって、『もっと低い椅子にして』とか、『ここ回んないほうがいいよ』とか、いろいろこう……アドバイスもらって、今の『ナカイの窓』がある」
武井「へぇ~」
黒川「やっぱすごい勉強になりますし、一緒に中居さんと番組作ってる俺、みたいなのはすっごい嬉しいんで、そういう出演者さんは本当に大好きですね」

武井さんも地方番組とはいえMCをする機会が増えています。このラジオもそうでしょう。だから中居さんの姿勢に感銘を受けつつも、同じようにできるのか自問自答していました。

中居さんの意見を取り入れて始まった「ナカイの窓」は、ある意味「アメトーーク」の発展形なのかもしれません。毎回あるテーマに沿って語り合う点は一緒です。しかし演者の配置が大きく異なります。「アメトーーク」は左側にMCがいて、右側ひな壇にゲストが座る。すなわち真ん中で分けて立場の違いをハッキリさせています。それに対して「ナカイの窓」は円卓。ゲストとMCを隔てる境界線はありません。それどころかその中間に「ゲストMC」という役割を置いて、さらに曖昧なものにしています。MCとゲストの分断が「アメトーーク」ならば、MC・ゲストMC・ゲストのグラデーションが「ナカイの窓」です。

話を戻しましょう。中居さんのプロ意識を称賛しているのは黒川さんだけではありません。ナインティナインの岡村隆史さんもその一人です。

「FNS27時間テレビ」の台本を全て頭に入れてきた中居正広

2015年7月30日放送のニッポン放送「岡村隆史のオールナイトニッポン」。

パーソナリティはナインティナイン岡村隆史。

「めちゃイケ」チームが担当した2015年の「FNS27時間テレビ」(2015年7月25日・26日放送)。ナインティナインとSMAP中居正広が総合司会を務め、「本気」をテーマに様々な企画に挑戦しました。

この日のラジオで岡村さんは、今年の「FNS27時間テレビ」は本番前からテンパっていたことを打ち明けます。ライザップの過酷な減量プログラムに取り組みながら、吉本印天然素材のメンバーらが参加するダンスの稽古もしなければならない。さらに本番前日に大阪での番組収録が入ってしまい、十分な打ち合わせができないまま本番を迎えてしまいました。スタジオ移動中に渡されたメモを読んで次のコーナーを把握するような状況もあったと言います。
にもかかわらず無事に完走できたのは、中居さんのサポートがあったから。

岡村「まあ、そんななかでもやっぱりねぇ、随分今回助けていただいたと言いますか、ホンマに困ったときの中居正広、もうホンマに僕……あんまりこんなこと言うの恥ずかしくて言いたくないんですけども、中居、本当にありがとう」
(作家笑)
岡村「中居正広って本当にすごいんだなっていう風に思いましたよ」

総合司会の3人で打ち合わせをした日のこと。

岡村「各コーナー担当のディレクターさんが引っ切りなしに来て……10時間超えたんかな、目の前にどっさりこの、なんちゅうの? 台本みたいなのが増えてくるわけですよ、(頭に)入らないじゃないですか、ところがもう……こんなんね、裏話言わんほうがエエのかも分かんないですけど、これはもうホンマに格好いいなと思ったんですけど、その台本を全部、中居がバッと抱えて、(打ち合わせ)終わった瞬間にバッと抱えて『お疲れした!』って言いよったんですよ」

そのまま部屋から出て行こうとするのを「どうすんねん、それ!?」と呼び止める岡村さん。「今から入れるんだよ、叩き込むんだよ」。そう言い残して帰っていく中居さん。そして本番当日、中居さんは台本をしっかり頭に入れてきました。

岡村「『入ってんの?』言うたら、『とりあえずは、入れてきたつもりではいるけど』つって、やっぱね、後半なんか観てもらったら分かるけど、中居が先陣切ってパッとマスター・オブ・セレモニー(MC)やってくれてるから、俺が自由にさせてもらえる瞬間もあったし、ホンマにねぇ……もう、感謝感謝!」
(作家笑)
岡村「くふふっ、中居に感謝感謝! 素晴らしいな~と思って」

今回の「FNS27時間テレビ」が終わったあと、お互い独身の2人はメールで飲みに行く約束をしたそうです。

酒井若菜と8人の男たち

酒井若菜と8人の男たち

これに似たエピソードがまだあります。

ナゴヤドーム公演前日に開かれた緊急会議に中居正広の姿がない

2014年1月29日放送のニッポン放送「大谷ノブ彦のオールナイトニッポン」。

パーソナリティはダイノジ大谷ノブ彦。
ゲストは鈴木おさむ(放送作家)。

鈴木おさむさんはSMAPがデビューしたときから親交があり、TOKYO FMのラジオ番組「木村拓哉のWhat's UP SMAP!」を始め、「SMAP×SMAP」や「中居正広の金曜日のスマたちへ」といったSMAPの番組を数多く手掛けてきた放送作家です。そんな鈴木さんに大谷さんが率直に聞きます。「SMAP5人のすごさとは何か?」。

鈴木「ん~、たくさんあるけど、やっぱり……まあ年々変わっていくけど、普段バラバラでしょ」
大谷「うん」
鈴木「普段バラバラなんだけど、『よしっ!』ってなったときの、5人がツルハシ持って同じ穴を掘るときのパワーですね」

SMAPのコンサートを鈴木さんが手伝っていた頃、予想外のアクシデントに見舞われました。ナゴヤドームでの公演を翌日に控えた金曜日の夜、稲垣吾郎さんが道路交通法違反で捕まってしまったのです。

鈴木「マネージャーさんから電話かかってきて、『ちょっとね、明日コンサートを結局やることになるっぽい』みたいな」
大谷「へぇ~」
鈴木「アレ(事件)……が金曜日で、次の日コンサートが土曜日で、名古屋かな? やってるんですよ」
大谷「うん」
鈴木「まあ俺は正直なくなると思ってたけど、やるっていうことになって、で、メンバーで会議しなきゃいけない、だって変わるじゃないですか、曲割りも全部」
大谷「はい、そうですね」

とあるホテルに関係者全員が集まって緊急会議を開いたのですが、予定の時間になっても姿を見せない人物がいました。中居さんです。

鈴木「皆ソワソワしてて、『何してんだろう?』って思うじゃないですか」
大谷「はい」
鈴木「それで1時間半ぐらいかな? (中居が)遅れて来て、『おう!』みたいな感じで明るく入ってきて」
大谷「うん」
鈴木「皆正直『遅いよ!』って気持ちが絶対あると思うんですけど、したら『は~い』とか言って、ペラペラって紙を出して、『とりあえず、俺、ライブの構成全部考え直してきたから』」
大谷「えっ……」
鈴木「『考え直してきたから、何か意見があったら言って』って、その、遅れていたと思ってた1時間半で、全部4人の(曲)割りで、トークもじゃあここ削ってっていうのを、全部作ってきてたの」
大谷「ええ~」
鈴木「で、皆がそんときに話を聞いて、ああでもないこうでもない、でもすぐに話がまとまって、で、次の日に名古屋に行くんだけど、やっぱフォーメーション変わるわけですよ」
大谷「そうですね」
鈴木「今度フォーメーションが変わるときに、そこは木村君が主導権取って、『じゃあ、こうしようああしよう』って言って、やったわけですよ」

SMAPはこれまで何度かピンチに遭遇している。しかしそのときにメンバーが発揮するパワーはすごいものがある。そう語る鈴木さん。

そもそもの話として中居さんは芸人ではありません。アイドルです。それなのになぜ並外れた情熱をバラエティ番組に注ぐのでしょうか。冒頭で触れた本『1989年のテレビっ子』のなかに、その答えがありました。

SMAPのターニングポイントは1989年にあり

戸部田誠(てれびのスキマ)著『1989年のテレビっ子』(双葉社)P213~214から。

この本によると「1989年は、『国民的』なものが、次々に失われていった年だった」とあります。そのひとつが、歌番組の「ザ・ベストテン」終了。

『ベストテン』終了の影響は大きかった。『歌のトップテン』などの歌番組が相次いで終了。『ミュージックステーション』など数少ない例外をのぞいて、テレビの中心から歌番組が姿を消したのだ。それによりもっともダメージを被ったのはアイドルたちだった。最大の露出の場を失ってしまったのだ。

SMAPが結成されたのは1988年です。

光GENJIは『ベストテン』とともに大スターに登りつめたと言っても過言ではない。だが、その後輩で88年に結成されたSMAPは『ベストテン』終了によって、あったはずの活躍の場がなくなった。(中略)そこで苦肉の策として探ったのがバラエティ番組への本格進出だった。

1989年に全国放送へ昇格した「夢で逢えたら」。ウッチャンナンチャンとダウンタウンが共演した伝説のコント番組に、SMAPがゲスト出演して早口のコントを演じていた映像を思い出しました。

お笑い芸人と同じような下積みや修業を経て、本格的にバラエティ番組や笑いに取り組んでいった。いわば、ドリフ側を目指したのだ。その結果、まったく新しいアイドル像を作り上げ、アイドルを越え「平成」を象徴するテレビタレントとなったのだ。

「笑っていいとも!グランドフィナーレ」を仕切っていたプロデューサーが、お笑いレジェンドたちの共演という台本を超えた舞台を見て、すぐに「仕切れ!」と中居さんに指示を出したのは、冷静さを欠いていたわけでもなく最適解を選んだに過ぎないのでしょう。このときのプロデューサーの心境は、岡村さんと同様「困ったときの中居正広」だったのかもしれません。