笑いの飛距離

元・お笑い芸人のちょっとヒヒ話

THE ALFEEが持つ大衆性

「お笑いの人たちが、まずボケで出したくなっちゃうグループですね」。

これはクイズのヒントです。そしてその答えは、3人組音楽グループのTHE ALFEE(ジ・アルフィー)でした。

芸人はボケのフレーズにTHE ALFEEを使いがち

2014年8月22日放送「ラブレターズのオールナイトニッポンZERO」(ニッポン放送)

パーソナリティはラブレターズ(塚本直毅・溜口佑太朗)。

この番組の人気コーナー「アカペライントロクイズ」で、THE ALFEE『希望の鐘が鳴る朝に』のイントロ部分を熱唱する溜口さん。しかし独特すぎるアレンジのせいか、リスナーからの解答メールが一切届きません。仕方なく溜口さんがヒントを出します。「お笑いの人たちが、まずボケで出したくなっちゃうグループですね」と。私は答えを聞いてひざを打ちました。確かにその通りです。

風藤松原が「THE MANZAI 2013」(2013年12月15日放送)で披露した漫才にも、「三人寄れば? ジ・アルフィー」や、「雨降って地? アルフィー」といったやり取りがありました。芸人がボケでTHE ALFEEを使いたがるのは、幅広い世代にその存在が知られているからでしょう。だから笑いが遠くまで届きます。

マキタスポーツさんは、そんな彼らが持つ大衆性を「信頼と実績のアルフィー」と表現しました。

マキタスポーツが考察する「信頼と実績のアルフィー」

2014年8月19日放送「大谷ノブ彦キキマス!」(ニッポン放送)

パーソナリティはダイノジ大谷ノブ彦。
アシスタントは脊山麻理子。
火曜レギュラーはマキタスポーツ。

1974年にデビューしたTHE ALFEE(以下アルフィー)。メンバーは桜井賢(さくらいまさる)、坂崎幸之助(さかざきこうのすけ)、高見沢俊彦(たかみざわとしひこ)の3人。

当時のアルフィーは今と違ってフォークグループでした。まだ大学生だった3人に主導権はなく、レコード会社の言いなりだったそうです。誰かが作った楽曲を与えられて、それをお揃いの真っ白なスーツを着て演奏するという、まるでアイドルグループのような売り出し方をされました。しかも高見沢さんはメインボーカルとしてハンドマイクを握っていたと言います。結局ヒット曲に恵まれないまま、3枚目のレコードが発売中止となって契約も解除。大人たちに振り回されて終わった苦いデビューでした。

それでもめげずに地道なライブハウス巡りで動員数を増やしていったアルフィーは、1979年に再デビューのチャンスをつかみます。ここで同じ失敗を繰り返してはなりません。前回の挫折で一番痛感したのが、「オリジナル楽曲を作らなければ生き残れない」ということ。それがなければ主導権も握れない。高見沢さんはハンドマイクを置き、慣れ親しんだエレキギターを手に取り、曲作りに没頭していきます。

こうしてフォークグループからロックバンドへと変化していったアルフィーは、1983年に出した『メリーアン』で大ヒットを記録します。デビューから10年近くかかって、ようやく手に入れたオリジナルヒットソングでした。翌1984年には『星空のディスタンス』を世に放ち、こちらも大ヒット。実はこの楽曲、一発屋と呼ばれるのが嫌だった高見沢さんがヒットさせるべく練りに練って作ったそうです。一発屋の壁をぶち破ったアルフィーは、このあと30年間ヒットチャートにランクインし続けることになります。

アルフィーが長いあいだ安定して売れ続けている秘訣を、マキタスポーツさんが限られた時間のなかで考察します。まず最初に挙げた要因が「精力的なライブ活動」です。

マキタスポーツ(以下マキタ)「このアルフィーさんがですね、相変わらず活動が継続して、続いていて、かつ一定の支持を得てですね、しかもいろんな記録も打ち立ててるんですけど」
大谷「すごいんですよね、(ライブの)動員がね」
マキタ「動員がすごいんですよ! もうね、30年連続でシングルとかをヒットチャートに送り込んでる人たちです」
大谷「はい、なかなかいないですよね」
マキタ「もうなかなかいないですよ、それをずっと続けていること」
大谷「はい」
マキタ「あとね、年間60本ぐらい、ツアーをいまだにやってたりもする、ということは……6日に1回ぐらいのペースでライブやってるってことでしょ? 単純に計算すると」
大谷「はい」
マキタ「すごいことじゃないですか」

ライブ活動の異常さは回数だけではありません。

マキタ「つい最近、GLAYのTAKURO(タクロウ)さんとお話ししたんですけど、GLAYってのもモンスターバンドです」
大谷「はい」
マキタ「自分たちのテーマで、もう行ってない土地に行こうということで、そこにピッケルを打ち込もうということで行くんですって、もうすでにアルフィーのピッケルが刺さってるらしいです」
(スタジオ笑)

次に挙げた要因は「メディアへの露出」でした。

マキタ「ずっと、例えばテレビの露出とかもあるじゃないですか」
大谷「はい」
マキタ「テレビタレントとしての活躍の面も、高見沢さんや坂崎さんとかはやられていますし、まあラジオのパーソナリティとかもやりながら、そういう風に世間との接点を持ってたりもする」
大谷「はい」
マキタ「ただ単に、ファンだけを相手にしてるってことだけでもない」
大谷「違いますね、だって記号として強いですもん」
マキタ「うん」
大谷「なんだろ、芸人が困ったときの3人の例えで絶対アルフィー出しますから、今もですよ」
マキタ「そうですよね」
大谷「はい、今もすごい多いですよ、90年代からずっとですよ、僕はずっと疑問に思ってました、よく出てくるんですよ、ネタに」
マキタ「3人と言ったらダチョウ倶楽部かアルフィー」
(スタジオ笑)
大谷「強いんですよね~、アルフィーさんって」

現在いるファンのために全国を巡りながら、その一方でメディアにも露出して新たなファン層を開拓しているアルフィー。現状維持ではなく常に進化しているからこそ30年以上も安定した人気を維持できているわけです。

アルフィーは遠くからでもロックに見える

ここで最新シングル『英雄の詩』のストレートな歌詞を紹介して、アルフィーに求められている役割を読み解くマキタさん。

マキタ「(歌詞を抜粋して読み上げる)っていうような詞を歌ってるんですけど、これあの~、あえて言いますけど、もし新人バンドがこういう表現の詞を書いた場合、『君、あんまりこういうの有体すぎてダメだと思います』って多分言われてしまう」
大谷「オーディションにちょっと落ちちゃうレベルかもしれないですね」
マキタ「だからこういうことを歌っても、説得力があるってことが謎なんですよ」
大谷「あ~」
マキタ「だけど僕ね、プロレスで……また分かりづらい例えになるかと思いますけど、プロレスで例えたいんですけど、アメリカンプロレスでね、昔にリック・フレアーっていうすごい大活躍したプロレスラーがいたんですけど」
大谷「はいはい」
マキタ「非常にアクションが大きかったりする、でね、見栄えのする大きい技の受け方とか、技を仕掛けるときがすごく大きい」
大谷「はい」
マキタ「で、そういうのは、スタジアム級のところでやっても、見栄えのするプロレスをやってた」
大谷「はいはい」
マキタ「だからね、チマチマとした詞の世界ではなくて、やっぱこういう……」
大谷「よりそういう風になってきたんでしょうね」
マキタ「そうなんです、磨いて月並みな表現に落とし込んでいくことによって、遠くからでもロックに見えるような物を考えている」

芸人以外にミュージシャンの肩書きを持つマキタさんは、扶桑社から『すべてのJ-POPはパクリである(~現代ポップス論考)』という本を出しました。

今の時代、ちょっとした共通点でさえも「パクリ」と決めてかかる風潮があります。簡単に言えば、そんな風潮に異を唱えている本です。でもちょっと待ってください。タイトルには「すべてパクリである」と書いてあります。一体どういうことでしょうか。その意図は、爆笑問題の番組にマキタさんが出たときの放送を追っていけば分かります。

あきらめない夢は終わらない

あきらめない夢は終わらない

「すべてのJ-POPはパクリである」が意図するもの

2014月4月14日放送「言いにくいことをハッキリ言うTV」(テレビ朝日)

司会は爆笑問題(太田光・田中裕二)。
ゲストはマキタスポーツ。

その名の通り、テレビだと言いにくい意見をゲストに思う存分語ってもらう番組です。この日登場したマキタさんが掲げたテーマは、ずばり「J-POPはパクリだらけだ」。

マキタ「最近すごく思うんですけど、なんかネットが普及してきてからだと思うんですけど、『パクリだ』ってことをわりとすごく言いたがる人たちが増えてる」
太田「あ~、多いね」
田中「多いですね」
マキタ「『ほとんどがパクリだ』と言ってもいいぐらい、ヒット曲というのは過去の遺産、良いところを部分的に借用しながら、リサイクリングしてるんですよ」
田中「全く今までになかったようなメロディやアレンジ、こういうことはまずないと」
マキタ「ないです」
太田「分かる」

いわゆる「パクリ」の構造を抽出し、それをコード進行など別の要素に当てはめたりして多角的に分析していけば、「すべてのJ-POPはパクリである」という結論にたどり着く。そうすると元ネタを指摘して「パクリだ」と騒ぐ声は力を失う。なぜならJ-POPの全てが「パクリ」なのだから。

真正面から「パクリじゃない」と反論せずに、視点をちょっとズラして真実をジワッと浮き上がらせるようなやり方は、いかにも芸人らしい批評的態度だと個人的に思います。

太田「音楽がこの世に生まれてさ、こんだけやってきて、やり尽くされてる部分はそもそもあるわけだから」
田中「うん」
太田「例えばお笑いでも、漫才でもさ、もう全部ツービートやB&B、皆やり尽くしているわけじゃない」
田中「うん」
太田「我々、新たなネタなんて作れてる自信はないよね」
田中「今までに全くないネタなんて、あるんだろうか?」
太田「爆笑問題の過去のネタの焼き直しだったりもする」
田中「まあまあ、それはあるよね」
太田「ほとんどそれだもんね」
田中「ってか俺なんてもう、ヘタすりゃ別のネタの、俺のツッコミだけ抜粋して当てはめてもできるぐらい」
太田「できるよね」
田中「『やめろよ!』『うるせ~よ!』しか言ってねぇから」
(スタジオ笑)
田中「本当に、『ちがうよ!』とか、それしか言ってないんだから」
太田「そうだよね」
田中「もうパクリどころの騒ぎじゃない」

スタジオの空気をつかんだマキタさんは、このロジックを使って「パクらないアーティストは大物にならない」と主張してみせます。

大物アーティストは個性の追及より皆が喜ぶ王道の歌を作る

マキタ「桑田(佳祐)さんにしても、ユーミン(松任谷由実)にしても、(国民の思いを)引き受けてる人たちがいると思うんですよ」
(真剣な表情で頷く太田)
マキタ「そんときには、自分の出したいオリジナリティとか、自分の好きなこと、趣味嗜好とかは優先順位として下げておいて」
田中「うんうん」
マキタ「皆が共有できる、皆が好きなものを、え~、歌うということ」
田中「うん」
マキタ「任務として任されてしまう巨大な存在、という化け物が絶対必要なんですよ、世の中には」
田中「それはすごく分かりますね」
マキタ「小賢しいことをやってるのはまだ子供なんですよ、国民の代表となって皆を満足させる意味合いでもってパクってるんです」
太田「うわ~、上手いなぁ……」
田中「言ってる意味はもちろん分かりますけど」
太田「確かに、僕は桑田さんとたまにメールするんですけど、新曲出すでしょ、するとね、『AKBに負けた』つって悔しがるんですよ」
マキタ「はいはい」
太田「えっ! あそこと戦うの!? それがやっぱ凄まじいなと思うの」

アルフィーもまさにそういった存在でしょう。

マキタ「今の世代の人たちってのは、自分の限られたコミュニティに向けて、え~、発信する音楽を作り過ぎてるんですよ」
(腕を組んで聞き入る太田)
マキタ「そんときには、けっこう過激な音楽的な仕掛けとかやっても通用しますわね、それはだってそういう狭いところの向けてやってる、それが分かる人たちには分かるんですもん」

さらに熱が入ります。

マキタ「そんな狭いところにいつまでもいないで、もっと真ん中に出てこいよ!」
田中「うん」
マキタ「人の非難を浴びるかもしれないところに立てよ! そこで本当のことで真価を問おうよ、パクリとか、皆が受け入れられるものとか使ってでも、本当に良いものは良いんだっていう、一番難しいところでチャレンジしてみろよ! っていう話です」
田中「なるほど」
太田「あ~、なるほど、マニアックなところで自己満足してんじゃねえぞ! ってことだね」
マキタ「そうなんですよ、で、そんときにパクリも辞さないという構え」

最後の魂の叫びは若手ミュージシャンを鼓舞するというよりも、マキタさんによる決意表明だったのではないでしょうか。そう捉えるのは深読みが過ぎるでしょうか。