笑いの飛距離

元・お笑い芸人のちょっとヒヒ話

お笑いプラス何か

「芸人は何か武器がないと生き残れない」。

2015年のナインティナイン岡村隆史は、このフレーズを頻繁に使っていました。もしかしたら今後の芸人人生における大きなテーマとして横たわっているのかもしれません。

オードリー春日俊彰+フィンスイミングとボディビル

2015年5月7日放送「岡村隆史のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)

パーソナリティはナインティナイン岡村隆史。

「オードリー春日がフィンスイミング日本代表に選出され、イタリアで開催される世界大会に出場」。このニュースから芸人が置かれている現状について読み解きます。

岡村「オードリーなんかは別にええとは思うねんけど、今、なんか、お笑いプラスもう1個何かないとアカン時代やとか言われてますよね、もう1個何か才能ないと生き残っていかれへんって言うて、もう全然行けるやん、ボディビルもやってるしやねぇ、この日本代表でスイミングも行けるんやから」

では、岡村さんにとっての「何か」とは?

岡村「何もないで、私、何かある?……DJ」
(作家笑)
岡村「印象が悪いよね、なんか、あの~なんて言うの? クラブとか行かへん人からしたら『えっ、何なんそれ?』ってなるやん、いっぺん行ったら楽しい、ストレス発散になるでって思うねんけど、もうやれへん人からしたら『何? DJって』って……小説? 小説なんか、もうだって又吉とかもすごいしやな~、読んだけど」

ピース又吉さんの小説『火花』を称賛しつつも、それでも芥川賞は難しいだろうと話していました。なぜなら選考委員が「芸人が書いた小説」という理由で落とすと考えていたからです。もちろん、この予想は外れます。

ピース又吉直樹+小説

2015年7月16日放送「岡村隆史のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)

パーソナリティはナインティナイン岡村隆史。

放送があった日に発表された第153回芥川賞・直木賞で、小説『火花』が芥川賞に輝きました。岡村さんは「我らが又吉」と毎度おなじみの流行に乗っかるスタンスで切り出してから、以前に受賞は難しいと分析したことを詫びます。

岡村「え~、我らが又吉がですね、芥川賞受賞ということで、これはどえらいことですよね、言うてもアレでしょ? 松本清張さんとか、それから石原慎太郎さんとかと並んだということですよ……僕はね、ちょっと宣言するというか、本当に又吉さんに申し訳ないと言いますか、『これちょっと無理ちゃうか?』と、ノミネートされても、やっぱり村上龍さんが芸人が書いた小説を……丸付けるか? ってことで、え~、名言となりました『限りなく透明に近いスルーするんちゃうか?』と、あのときの(放送の音声)流れますか?」
(作家笑)

村上龍著『限りなく透明に近いブルー』にかけて上手いこと言ってやった感あふれる岡村さんの音声が流れます。このときすでに64万部を超えていた『火花』は、芥川賞受賞によってさらに勢いが増し、最終的には200万部を超える大ベストセラー小説となりました。

岡村「我々もなんか言うてもね、いろんな賞いただきましたよ、ブルーリボン新人賞(1997年)もいただきましたし、今宮えびすこども大賞(1991年)もいただきました、ABCお笑い新人グランプリ(1992年)、上方お笑い大賞銀賞(1993年)、え~、まあ言うても軽ナメはしてるんですよ、お笑いのコンテストも、まあ新野新(しんのしん)先生なんかにもハマりましたしね」
(作家笑)

でもナインティナインは漫才師じゃないと訴えます。

岡村「一部はね、なんで『ENGEIグランドスラム』司会やってるのに、『なんでナイナイは漫才せえへんのや?』とかいう話ありますけど、ここで声を高らかに言うときます、僕ら漫才師じゃないんです」
(作家笑)
岡村「例えばチュートリアルとかタカアンドトシとかは胸張って言えると思うんですよ、『漫才師です』と、僕ら漫才師じゃないんですよ、なんでかと言うたら、ヤラしい話、世に出るために新野新先生とか審査員の人にハマるためだけに、漫才をやったという非常に変な策略を持ったヤラしいコンビだったんです、なんとかテレビに出たい、そして売れたい、そのためには何が必要なのか? となったときに大阪やと賞を取るしかない、賞を取るにはどうしたらいいんや? 審査員の方々、あの~、やっぱ新野新先生とか藤本義一先生とか、そういう人たちにはやっぱ漫才、舞台を大きく使う、大きな声で挨拶する、そういう漫才が好まれる、テンポの速い漫才、そうすることで審査員の人にハマるという策略を立ててやってきたのが、今宮えびすこども大賞、それからABCお笑い新人グランプリ、そのときにはもう藤本義一先生がいはってえらい褒めてもらいましたし、読売テレビの(上方お笑い大賞)銀賞のときもかな? あんときも多分、藤本義一先生が『満場一致や』」
(作家笑)
岡村「と言われましたから、そのなんか……ヤラしいと言うたらアレですけども、そのときにこう一生懸命に先輩方の漫才を観て、それを真似して、テンポアップでしゃべるっていうので、やらしてもうただけのことで、僕ら漫才師ちゃいますねん、もうテレビ芸ですわ、ただの」

お笑いを細かくジャンル分けして、その枠に閉じ込めようとする考え方への抵抗を、岡村さんの独白から感じました。

岡村「でもまあ、前もちょっと言いましたけども、やっぱり今の、このお笑い界、お笑いだけやったらアカンねん、プラスアルファ何か1つ持ってないと、大至急、何か僕も探さないと、もう恥ずかしなってきてん、このラジオでもずっとメガネドレッサー取りたいとか」
(作家笑)
岡村「くふふっ、ベストスイマー取りたいとか、そんなことばっかり」

岡村さんが求める「何か」。それは他の芸人に差をつけるための「武器」ではなくて、己を追い詰めないための「避難場所」なのかもしれません。

左官職人・挾土秀平「臆病な人間じゃないと成功はない」

2015年10月26日放送「プロフェッショナル 仕事の流儀」(NHK)

この番組の大ファンである岡村隆史がプロフェッショナル達に会いに行く特別編。題して「放送10周年スペシャル 岡村隆史 プロに出会う旅」。10年間で登場したプロフェッショナルは291人になります。そのなかから岡村さんが選んだのは3人。そのうちの1人が、左官職人の挾土秀平(はさどしゅうへい)さんでした。

彼が住む岐阜県の飛騨高山へ向かう車中、会ってみたい理由を「自分と似ている気がする」と説明する岡村さん。「全然ポジティブじゃない」「陰と陽でいうと陰」。しかし「自分で自分をコントロールできる」点が違う。放送を観てそう感じたので、その辺を聞いてみたいと言います。

岡村「挾土さん自体がずっと言うてはるのが、臆病でないとアカンと、臆病やから今があるっていう風におっしゃってますけど」
挾土「そうですね」
岡村「本当に臆病やなぁって思いますか? やっぱり自分自身のことを」
挾土「本当に思います」
岡村「あ~」
挾土「本当に臆病だと」
岡村「仕事入ると寝れなくなったりもするし」
挾土「でも一方では、だから成功してきたんだとも思う」
岡村「うんうん、僕はもう、1回思いっきり逃げたんですよ、5年ぐらい前に」
挾土「はい」
岡村「それこそ本当に自分で決めた仕事があったんですけど、その仕事がウワーッとなって、それこそ一緒です、寝れなくなって」
挾土「ええ」
岡村「僕も完全に仕事ができなくなってしまって、で~、これはもう……僕そんとき辞めようと思いましたから、芸能界」

実は挾土さんも6年前に自律神経がおかしくなって、3年間めまいに苦しめられたそうです。

岡村「それはプレシャーでですか?」
挾土「そうです、だから多分そこは……岡村さんのことよくは知らないけども、多分同じ状態だったと」
岡村「うん」
挾土「こういうときは切り替えて休まなきゃとか、ちょっと別のこと考えよう、それが上手になってきて、僕もひと回り今強くなってます」
(深くうなずく岡村)
挾土「だから似てると思うんですよ、すごく」
岡村「それがすごい聞きたかったんですよ、そのリセットの仕方っていうのすごく知ってはるな~と思って」

仕事のレベルが上がれば社会的な重圧も増してくる。そうすると以前のリセット方法では効かなくなってしまう。だからいつも新たな方法を模索している。そう語る挾土さん。

岡村「今どんなリセット方法ですか?」
挾土「文章を書くこと」
岡村「へぇ~、今、文章を書いてはるんですか?」
挾土「もうそれはね、本当に恥ずかしいような文から、強くこう言いたいんだっていう文を、誰に読んでもらってもいい形で書く」
岡村「うん」
挾土「誰かが読んでくれているとか、頭のなかで……時々僕はなぜか、頭のなかで竹下景子さんが読んでくれていて、あの優しい声で」
岡村「くふふふっ」
挾土「自分の文を竹下景子さんが読んでくれていると、癒されてるみたいなところがある」
岡村「アレなんですね、妄想もしはるんですね、妄想と想像と」
挾土「僕けっこう妄想人間で」

挾土さんにとって「文章を書くこと」は気分転換というより現実逃避に近いようです。

挾土秀平+文章を書くこと

例えば雑誌の原稿依頼が来たら、左官の重要な仕事を抱えている状況でも、いやそういう状況だからこそ受けてしまうと話します。

岡村「キャパオーバーになりますよね」
挾土「つまり、これまた逃げで、このすごい重要な仕事を考えたくないから、こっち(文章)を考えることで、俺は逃げてないって思うようにしてる」
岡村「こっちの仕事入ったから、こっちをやってるんだと、あはははっ、なるほど」
挾土「うん、俺は今こっちをやらなきゃダメだから、今これ(左官)を考えられなくても仕方ないよねって」
岡村「ちょっと言い方悪いですけど、卑怯な逃げ方ですよね」
(2人笑)
挾土「そうそうそう」
岡村「でも結局のところ、いつかはバンッと腹くくってガッとやらなアカンわけじゃないですか」
挾土「そうですね、はい」
岡村「その腹のくくり方みたいなのって……」
挾土「う~ん、まあ、こっちをやってる間にヒントが浮かぶじゃないですか、いくつかのキーワードが必ず浮かんでいて」
岡村「うん」
挾土「逃げてるんだから、逃げた場所のことは常に頭にありますから、そういうキーワードはたくさん……それが溜まったなって思ったら、『よし、試す、このなかに絶対ある』」
岡村「うんうん」
挾土「っていうところで、あとはそこに入っていく」
岡村「結局はこっち(文章)やってるけど、この作業中にこっち(左官)側の……なんて言うのかな、引き出しをどんどん溜めていってるってことですよね」
挾土「違う言葉でいえば、多彩な色、可能性がキーワードで浮かぶ」
岡村「はいはい」
挾土「というようなことを、知らないうちにやってんのかなぁ」

そういう逃げ道を岡村さんは持っているのか尋ねる挾土さん。

挾土「そうやってこう左官じゃないこともね、同時に進行していくっていう」
岡村「はい」
挾土「さっきのね、多くを抱えちゃうってところから、2つの道とか3つの道を常に持っていたいと思ってるんですけど、そういう意味で岡村さんなんかこう……1本の道じゃなくて、もう1つ、2つ持ちたいよって思うんですか?」
岡村「(腕組みして考え込んで)これがねぇ、その本当にあの~、今ね、お笑いの人も1つじゃ難しい時代になってきて、それこそ小説を書く、映画を撮る、なんでしょう、筋肉ムキムキになる」
挾土「なるほど」
岡村「何かもう1つないとダメな時代になってきて、いろいろ探りましたよ、音楽の才能ないのかなぁと思ったり、ギターやってみようかなと思ってギター借りてやってもダメ」
挾土「うん」
岡村「サックスやってもダメ、全然ダメなんですよ、結局何かあんのかな~と思ったときに(頬を手で押さえながら)う~ん、結局この、なんか、お笑いでしかないのかな~って思ったりするんですよね」
挾土「でも今日会ってる岡村さんっていうのは、本当に人間・岡村隆史って感じだもんね」
岡村「ふふふっ」
挾土「別人ですよ」
岡村「あ~、そうですね」
挾土「もう、それ、両輪なんじゃないですかね?」
岡村「あ~、なるほど」
挾土「で、その2つ持ったほうが、響き合って、どっちも活きてくるってこと、あるんじゃない?」
岡村「あ~、(右手を挙げ)こっち行って、(左手を挙げ)こっちを客観的に見れることもあるし」
挾土「そう」
岡村「それは両輪ですよね」
挾土「そのギャップを見て、視聴者の人も、岡村さんを見る人も、『アノ人こっちでこれやったのに、(視線を変えて)こっちのお笑いやるなんて面白いよな』とか」
岡村「今しゃべってて思ったんですけど、この番組自体が両輪みたいな気がしてきますね」

「お笑いプラス何か」について考えることは、結局のところ「芸人とは何か」という根源的な問いに帰結してしまうのでしょう。

ピース又吉さんは、雑誌『AERA』のインタビューで次のように発言しています。

AERA 2015年 6/1 号 [雑誌]

AERA 2015年 6/1 号 [雑誌]

何してもいいのが芸人

2015年6月1日発売『AERA』(朝日新聞出版)

特集「お笑いの多様性 芸人とその時代」P47から。

「芸人」って、本当はもっと細分化されてもいいものを、何でも屋みたいな感じでやってるんですよ。
でもそれがやりたかったんです。何やってもええって思ってるから、芸人をやった。