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笑いの飛距離

元・お笑い芸人のちょっとヒヒ話

つまらない作品を観ることで面白さを見つける力を養う

ダイノジ 東京ポッド許可局 お笑い以外

「失敗から学ぶ」。
最近このテーマについて語っているラジオ番組に遭遇しました。しかも2週連続で。

つまらない映画を鑑賞することで面白さの本質を考える

2015年1月20日放送の「大谷ノブ彦キキマス!」。

パーソナリティはダイノジ大谷ノブ彦。アシスタントは脊山麻理子。
この日は映画「百円の恋」の特集ということで、映画解説者の中井圭さんがゲスト。
「百円の恋」の魅力をたっぷり紹介したあと、リスナーからこんな質問が届きます。「ツイッターなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)による口コミは、映画の観客数に影響を与えるのか?」。

大谷「減るって意味ではあんまり聞いたことないですけど、増えるっていうのはもう、口コミはすごくツイッター、SNSにありますよね?」
中井「ありますね、ソーシャルメディアがこんだけ普及しているので、やっぱ面白いモノをみんな観たいっていうのと、あとその、もちろん権威がある人が言うのもそうなんですけど、自分の感覚を知ってる自分の友達が『面白い』って言ってるモノって、『えっ、何なの?』ってなるじゃないですか」

しかし、そうやって評判を聞いて品質が保証された映画ばかり鑑賞するのではなく、出会い頭でつまらない映画にぶつかる体験も大事だと言います。

大谷「面白くない映画を観ることも大事なことなんですね」
中井「大事です、その、『面白くない』って一言で言ってしまったら、もう終わりなんですね、そのなかに何が面白いのか見つける力であったりとか」
大谷「うん」
中井「僕、年間500本ぐらい映画を観てるんですけど、その500本観ていて、やっぱりそんなに面白くないって感じるときもあるんですけど、そういうモノを観ることによって、『面白いって何なんだろう?』って考えることができる

仕事とはいえ、中井さんの映画に向き合う原動力はどこから来るのでしょうか。番組恒例の「座右の銘」をゲストに書いてもらうコーナーで、その理由が明かされた気がします。

大谷「中井さん、書き終ったということでお願いします、発表を」
中井「え~、僕の座右の名は、『意志あるところに道はある』」
大谷「これは」
中井「あの~、僕ずっとそうなんですけども、自分には全然自信がないんですね、ずっとそうだったんですけど、でも、やり続けていて諦めなければなんとかなるなっていうことを、すごく人生のなかで経験していて、今もだから、そういう道の過程ではあるんですけど、結局その道がないなと思っていても、意思さえ持っていれば道って開けるんじゃないかなと、そういうことを思って、まあ僕はずっと映画を観ている感じですね」

「つまらない作品から面白さを見つける」。この姿勢は、映画に限らず音楽評論の世界にも当てはまるようです。

キネマ旬報 2014年11月下旬号 No.1676

キネマ旬報 2014年11月下旬号 No.1676

忌野清志郎の「愛しあってるかい?」が生まれた瞬間

2015年1月26日放送の「大谷ノブ彦キキマス!」。

パーソナリティはダイノジ大谷ノブ彦。アシスタントは脊山麻理子。
この日の特集は、映画「忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー The FILM #1 入門編」。音楽評論家の田家秀樹さんをゲストに招いて、忌野清志郎の人物像に迫っていきます。
コーナーの後半、歴史的瞬間を目撃したというリスナーからの投稿に出演者が驚愕する場面がありました。テーマからちょっと外れてしまうのですが、とても印象に残っているので紹介させて下さい。その投稿を大谷さんが読み上げます。

大谷「チャボ(仲井戸麗市)さんが古井戸とRCサクセションを掛け持ちしている時代、1978年ごろかな、横浜のライブハウス『ファーイースト』でRCサクセションのライブがありました、お客は数十人、ちょっと冷めてるお客さんに清志郎が小さな声で『この人たち一体何して生きてんだろ、盛り上がってるかい? 憎しみあってるかい?』、シーンとしてるなか、痺れを切らした清志郎は叫ぶように『愛しあってるかい?』って」
田家「うわ~、すごいな」
大谷「思えば『愛しあってるかい?』が生まれた瞬間に立ち会ったようですね」
田家「それはすごいな……」
大谷「これすごい!」

田家さんは「一生誇ってくださいね」と投稿をくれたリスナーに呼びかけていました。そして、コーナーの最後に「座右の銘」を書いてもらいます。

大谷「さあ田家さん、書いていただきましたかね」
田家「ええ」
脊山「読んでいただいてもいいですか?」
田家「えっとね、『どんな売れてないバンドやアーティストのライブも一箇所は面白い』」
大谷「ほぉ~」
田家「これね、淀川長治さんがね、どんな三流の映画でも一箇所は感動的だ、3分間は感動的だって言ったのかな? それです」

映画解説者の中井圭さんと、音楽評論家の田家秀樹さん。2人の話を聞いて、時事芸人のプチ鹿島さんが提唱する「半信半疑」の姿勢を私は思い出しました。

忌野清志郎 デビュー40周年記念号

忌野清志郎 デビュー40周年記念号

大いなる無駄と格闘した末に辿り着いた境地「半信半疑」

20014年11月21日放送の「東京ポッド許可局」。

パーソナリティはマキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオ。
今回のテーマは「相対化論」。トークの流れから、プチ鹿島さんがプロレスを見ながら辿り着いた境地「半信半疑」の重要性が話題になりました。

プチ鹿島「別に(物事に)白黒はっきり付けなくてもグレーのままでいいじゃないですか、グレーのままでいろいろ考えれば、どんどんこう熟考できるから、それはイエスノーすぐ出さなくたっていいんですよ」
マキタスポーツ「だから俺は、ひとつの視点として半信半疑論ってものすごく重要だと思うの、でも結局、知性の話だから」
サンキュータツオ「うん」
マキタスポーツ「みんながPK(プチ鹿島)と同じように知性的な人間である(わけではない)、PKが獲得した知恵とか知性みたいなのっていうのは、ものすごくPKさんは抑圧されてたわけですよ」
プチ鹿島「そう、あの~、もっと言ったら、大いなる無駄だと思ったモノと格闘してるから、そのなかで無理やりそこを紡ぎ出しただけで」
サンキュータツオ「無意味なモノに意味を求めるとかね」
プチ鹿島「だから言い訳ですよ」
マキタスポーツ「それに悟りみたいなのが多分あると思うんだけど、ほとんどの人たちって、なかなか無理だよ」
サンキュータツオ「じゃあどうしたらいいの?」

しかも今の時代、無駄(つまらない)を排除して効率よく情報を手に入れるテクノロジーが発達しています。でも、その情報に対して疑問を持たずに寄りかかるのは危険だと指摘します。

サンキュータツオ「考えるのが面倒くさいから、何かにすがりたくなるんだと思う」
プチ鹿島「そうそう」
サンキュータツオ「自分が生きてる意味とかじゃなく、面倒くさい」
マキタスポーツ「習慣と面倒くさいだから、やっぱり、何度も言うけど」
サンキュータツオ「習慣と面倒くさいだよね、支配されてるよ、やっぱり」
マキタスポーツ「だから、新たな習慣を獲得したいってこと、それはオートマティックに自分が動いていけるってことが欲しくて生きているわけで、そこをなんか為政者とか権力者とかが、権力を持ってる側にコントロールされんのは嫌じゃん、嫌だから、それは我々が例えばメディアに出ている側の人間として、『こういう見方がありますよ』とか、面白さを持ってね」
サンキュータツオ「うん」
マキタスポーツ「やってあげるってことは、俺はやっぱり必要だと思う、あえて言えば」

ここで日本語ラップのパイオニアである、いとうせいこうさんの名前を挙げるマキタさん。彼がいかにしてラップ未開の地を切り開いて行ったのか解説します。

みんなに笑われる覚悟で自分を晒すことで熱が伝わる

マキタスポーツ「例えば『ディスコ』って言葉とかで、日本人は『ディスコ』って言葉でその風俗を括っちゃうから、そういうことで言ったら、ヒップホップってのをディスコの現場でやられたら、みんな受け止め方が分かんないわけじゃん」
プチ鹿島「うん」
マキタスポーツ「そのときに、『スクリーム!』って言葉を、『騒げ~!』って翻訳したんだって、そしたら、『騒げ~!』って言ったら、みんなどういうリアクション取ったかって言ったら、笑ったんだって」
プチ鹿島「うん」
マキタスポーツ「で、全部そういうボタンの掛け方していったんだって、あの人って、新たしいモノに対してはみんな戸惑いつつも、基本的に笑うとか」
サンキュータツオ「そうだね、分からないモノは笑い飛ばしてしまう」
マキタスポーツ「全部そういう流儀とかってモノを翻訳していくときに、『スクリーム!』って言葉に代表されるように、いろんな流儀とかマナーがあるわけで、ヒップホップには、それを笑いに変換していく感じでやっていったら、お客さんが馴染んでった」
サンキュータツオ「うん」
マキタスポーツ「だから我々エンターテインメントの側って、そういう役目ってあるのかもしれないなって、だから晒して、新たな方法論を持って、笑われていくこととかが、すごく重要かなって」

以前、いとうせいこうさんが当時の心境についてラジオで話していたことがあります。そのときの表現が今も心に残っているのですが、もしかしたらそれはマキタさんの言う「笑われる覚悟」だったのかもしれません。

教養としてのプロレス (双葉新書)

教養としてのプロレス (双葉新書)

土手にギリギリ引っかかった状態から上にあがろうとする姿が面白い

2007年6月16日放送の「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」。

パーソナリティはライムスター宇多丸。ゲストは、いとうせいこう。
宇多丸さんが少年時代に人生を狂わされた憧れの人との対談が実現。

宇多丸「いとうさんってそもそも、ねぇ、人前でさ、なんて言うんだ? スタンダップコメディって言っちゃいますね」
いとう「うんうん、まあそうだね」
宇多丸「なんか芸をする」
いとう「ピン芸をやってた」
宇多丸「ピン芸をやる人だったんですよね」
いとう「うん、そうです」
宇多丸「で、なおかつ講談社の『ホットドッグ・プレス』っていう若者雑誌の編集者でもあり、で、ラジオでもなんかしゃべり、みたいな」
いとう「そう、そうね」
宇多丸「いとうさんって、未だにそうですけど、今どき珍しいぐらい、要するにその、教養人というかさ、教養の継承であったり、そういうのにすごい意識的にこう……けっこう最初の段階から、な気がするんですけど、どうですか?」
いとう「いや、僕自体は教養ないわけですよ、何読んでも、まあなんとなく耳学問で『こんなようなこと言ってんだろうな』ってことは分かります、だけどまあ、教養人つったら、ものすごい人がいるからね」
宇多丸「まあそうなんですけどね」
いとう「とてもじゃないけど、それは言えませんけど、割かしまあ、なんちゅうの、このメガネの度の厚さを見ていただければ分かるように」
宇多丸「ふふっ」
いとう「いやまあ、読む物は読んだりしましたよね」

いとうさんは、決して教養人ではないけど若者を啓蒙したい気持ちは強かったと言います。

いとう「だって、哲学なら哲学で、超過激な面白いもんがあるわけだからね」
宇多丸「うんうん」
いとう「ただ音楽だけ聴いてればいい、芝居だけ観ていれば面白いってわけではなくさ、書物の世界でもものすごい面白い人たちはいっぱいいるわけ、そういう人たちを……だから俺、格好いいもんが好きなわけ、結局、芯のところではね」
宇多丸「うん」
いとう「それを紹介したいわけ、だけど紹介するのにどう上手に紹介したら人が食いつくのか、に関することが割かし上手かったんじゃないかと思う、自分で、まとめると」
宇多丸「はい、実はこれで人生狂いましたからね」
いとう「そうなの、宇多丸も、『そうか、宇多丸も狂ったひとりか、よしよし』と思ってるわけ」
宇多丸「みんな狂っちゃってるからね、ラップもそうだし」
いとう「まだまだ行け」
宇多丸「まだまだ……いや本当そうなんですよ、まだまだなんですよ」
いとう「全然、世の中なんかね、どのぐらい……こう土手があるとして、かなり落っこってっても、人は落下したと思わないからね、本気でどん底に落ちない限り」
宇多丸「落ちなきゃダメなんですか? それは」
いとう「いやいや、ギリギリ」
宇多丸「落ちるならね」
いとう「いや落ちたら面白くないんだよ、ギリギリこう土手に引っかかってるぐらいが面白いんだよ
宇多丸「なるほどなるほど、うん」
いとう「端から見ててさ、危なっかしいな~と思うけど、チャーミングだなと思うわけ、やっぱ上へあがろうあがろうとしていないとダメだよ、落っこっちゃってもいいだなんて思ってる連中は面白くない」

受け取った情報がどこからやって来たのか意識して、それらをすぐに白黒付けずグレーゾーンのままじっくり考える。なおかつ余裕があるときは紹介してきた人たちを見習って、無駄なモノとも格闘して面白さを見つける力を養う。そういった姿勢を心掛けていきたいです。

文藝 いとうせいこう「想像ラジオ」を語る

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