笑いの飛距離

元・お笑い芸人のちょっとヒヒ話

バナナマンがいなければラーメンズは解散していた

「爆笑オンエアバトル」で人気に火がついて、そこからスターダムにのし上がっていったラーメンズ。

メンバーである片桐仁が当時を振り返って、次のように語っていました。「バナナマンがいなかったらラーメンズ解散してました」。

「爆笑オンエアバトル」のおかげで単独ライブのツアーができるようになったラーメンズ

2014年2月1日放送「エレ片のコント太郎」(TBSラジオ)

パーソナリティはエレキコミック(やついいちろう・今立進)、ラーメンズ片桐仁。

1999年3月にNHKで始まったネタ番組「爆笑オンエアバトル」(略して「オンバト」)が、2014年3月をもって15年の歴史に幕を閉じるという発表がありました。その発表直後の放送だったので、リスナーから「オンバト出演時のエピソードがあれば教えて欲しい」といった内容のメールが届きます。

「オンバト」といえば、やはり多くの方がラーメンズを想像するのではないでしょうか。多摩美術大学で同級生だった小林賢太郎と片桐仁が結成したお笑いコンビ。彼らは初回の「オンバト」に登場して、いきなり512kb(オーバー500)という高得点を叩き出したのです。

片桐「それで知ってもらって、ラーメンズはツアーができるようになったっていうのがあるもんね」
今立「全国放送だからね、NHKだから」
片桐「すごいですよ、テレビの力をまざまざと見せつけられた瞬間ですね」
やつい「ザ・オンバトでしょ、もうラーメンズは」
片桐「第1回放送で、誰やねんってなか、片桐の授業(現代片桐概論)ってのをやって、500何キロバトルが出たの」

「オンバト」初回にラーメンズが呼ばれた経緯について。

片桐「『オンエアバトル』の前に、その前の年の秋に『新人演芸大賞』って毎年NHKでやってる」
今立「はいはい」
片桐「そこの決勝に選ばれて、優勝はできなかったんだけど……エレキは何年か後に優勝するじゃない、で、できなくて、その打ち上げで、『オンエアバトル』のディレクターの人が、『今度、お笑い番組始めるんですよ』って話になって」
今立「ほぉ」
片桐「で、そのあいだにラーメンズの単独ライブがあったの」
今立「はいはい」
片桐「それを観に来てもらって、『このネタやって下さい』って言って、それをやった、その3、4ヶ月間のあいだに全部がブワーって動いたんだよね、ラーメンズの」
今立「ははぁ~」
片桐「もう多分、運だと思う」
今立「ちょっとスターダムに、こう上がってく感じだよね」
片桐「そういうつもりは当然ないんだけど、でもなんかその、番組に出た瞬間に、『なんか、違うコレ……』っていう感じがしたんだよ」
やつい「これ、ブレイクするぞって感じ?」
片桐「1回目の感じはすごかったね、めちゃくちゃウケたし」
今立「それまで、テレビあんま出てないもんね」
片桐「ほとんど出たことなかったから」

一方のエレキコミックは「オンバト」にしばらく呼ばれませんでした。のちに「NHK新人演芸大賞」で優勝したことで、やっと声が掛かるようになったと言います。

やつい「そんなこともありましたけど、おかげでいろいろ出させてもらって」
今立「そうですよ」
片桐「そうだよ、アレで全部繋がったもんね」
今立「ねぇ、けっこうそこから出てますから」
片桐「いやホント、ラーメンズはそれの……ツアーをやることによってお金を稼げるようになったのも『オンバト』のおかげ
やつい「ラーメンズはすごいよ、ラーメンズが一番得したんじゃないの」
今立「そうでしょ」
片桐「そう思いますよ」

ラーメンズが駆け上がっていく姿を、同じ事務所のエレキコミックはどういった心境で見つめていたのでしょうか。

「爆笑オンエアバトル」に出る前のラーメンズは地下芸人だった

やつい「そういうのをさ、体験してみたいよね」
今立「あ~、スターダムにこうバッとね」
やつい「なんか、こうガタガタと自分の未来が変わってくみたいな、その、スピッツの『チェリー』みたいなさ」
今立「あ~」
やつい「なんか、今から起きそうだって感じたわけでしょ?」
片桐「感じた、周りの見る目が一変したもん」
今立「気持ち悪いって言われてたのが」
片桐「最初、まずは『あいつ気持ち悪いなぁ』ってとこから始まるから、なかなか1個目のボケがウケなかったし」
今立「くふっ、そこまで気持ち悪かったのかよ、クククッ」
片桐「俺すごかったよ! 『うわぁ~』って言われんだから」
(スタジオ笑)
片桐「俺がツッコミだったりするから余計に、こんがらがっちゃう」
やつい「そりゃあそうだよ、あんとき片桐さん、なんかパンツ一丁とかだったじゃん」
片桐「パンツ一丁のやつもあったね」
今立「ブリーフで、ランニングとかね」
やつい「そういうので『うわぁ~』って」
片桐「その頃はもう大丈夫だったの、その前の、普通にスーツ着て漫才とかやってたときから、気持ち悪いって言われてて」

初期のラーメンズは漫才もやっていたんですね。

片桐「ラーメンズは本当にもう、地下芸人でしたから
今立「暗かったし、ネタもけっこうね……」
片桐「下ネタとか、差別ネタとか、すっごいやってたから」
今立「ライブだからこそね」
片桐「そうそうそう、だからそういう、放送禁止みたいなことばっかりやってた頃は本当にもう、全然ウケなかったし、俺の気持ち悪さでけっこう足引っ張ってたと思うけどね
今立「そこからガラッと変わったらどうなったの? 『ワー!』って?」
片桐「そうそう」
やつい「なったね」
今立「『仁さ~ん!』みたいな」
片桐「そうそうそうそう」
やつい「あの瞬間ってすごいよね」

でも、その「仁さ~ん!」と寄ってくるファンのほとんどは小林賢太郎さんが目当てでした。

片桐「よくありましたよ、『賢太郎さんに渡して下さい』って、よくありました」
今立「あ~、コンビ間で」
片桐「シアターD(渋谷のライブハウス)って劇場があって、出入り口がエレベーター1個しかないじゃん」
今立「そうだね」
片桐「エレベーターの前にファンが皆待ってるでしょ」
今立「待ってたね、出待ちね」
片桐「俺はもう完全に無視されるんだけど、たまに話しかけられると、それだった」
今立「うわ~」
やつい「俺もでも『ラーメンズに渡して下さい』あったよ、まあ賢太郎だけど」
片桐「そうだよな(あっさり)」
(スタジオ笑)
片桐「賢太郎はかなり早い段階で人気があった」
今立「あれ? スターダムにのし上がった方ですよね、片桐さん」

とはいえ、片桐さんもこのとき初めて彼女ができました。エレキコミック曰く、それによって片桐さんは少し変わってしまったそうです。

彼女ができてから妙に尖がりだしたラーメンズ片桐仁

2013年4月6日放送「エレ片のコント太郎」ポッドキャスト(TBSラジオ)

パーソナリティはエレキコミック(やついいちろう・今立進)、ラーメンズ片桐仁。

2000年1月放送のBS番組「笑いは世界を救えるか」。この番組を録画したビデオテープが部屋から見つかった。再生してみると、それは結成3年目のエレキコミックが出ている番組だった。リスナーが送ってくれた貴重なビデオの話を受けて、その当時の思い出話に花が咲きます。

今立「単独(ライブ)もやってますからね、2000年だからね、始めた年ですね」
片桐「ふ~ん」
今立「あれ? 片桐さん、つまんないの?」
片桐「いやいや全然、2000年(のラーメンズ)ってどうだろうなぁって思って……」
今立「もう単独も何回もやってるでしょ? 『箱式』」
片桐「……やってるやってる、『箱式』やってるね、2000年っていったら、サンモール(新宿の劇場)で初めてやってるね、『home』かな?」
やつい「ああ、じゃあもう爆発前夜だ」
今立「そうだ、『オンバト』はまだやってない?」
片桐「出てる出てる、1999年だからね」
今立「そんときはもうあれだ、モテて……」
片桐「彼女ができたんだよ!」
今立「おおっ」
片桐「2000年に」
やつい「なんか、あのぐらいからちょっと付き合いづらくなったんだよな~」
今立「あっ、俺も彼女いる時代はあんまし会ってないもん、仁と」
片桐「そうだよね」
やつい「1回、すっげぇ付き合いづらくなったときあったよね」
今立「あったあった」
やつい「あの、本当に鼻にかけてさ、あったあった! 今パッと思い出してきた」

「片桐の初めての彼女」と聞いて、記憶が蘇ってくるエレキコミック。

片桐「そういう時代があったのは覚えてる」
やつい「あったんだよ、なんか、変な感じのときあったよ」
今立「やっぱちょっとモテたりし出して、自信も出て」
やつい「で、彼女が初めてできたから、顔がオオカミみたいになってて」
(スタジオ笑)
今立「獣の感じ」
やつい「ちょっとこう、なんつうのかな~」
今立「それは格好つけてるってことなの?」
やつい「いや、初めてできたっていうことで、格好良くしなきゃいけないっていうがあったんじゃない?」
片桐「あったあった」
今立「この子のために」
片桐「うん」
やつい「なんか、そうじゃないんだけど、そうじゃないのに格好いい方向に行ってたから」
今立「ちょっと無理してたんだね」
片桐「超格好つけてたよ、服とかも無理して」

加えて、当時の渋谷の街が自分を尖らせていたと片桐さんは弁解します。

渋谷でのライブ後はチーマーによる「芸人狩り」を防ぐため5人以上集まって帰宅

片桐「街で話しかけられたりするのが怖かったんだろうね」
今立「いや、そんなんじゃないよ」
片桐「違うかなぁ?」
今立「くふふふっ」
片桐「センター街、超怖かったじゃん、あんときチーマーとかいっぱいいて」
やつい「『芸人狩り』とかあったからね」
今立「あったからね、当時ね」
片桐「そうだよ、囲まれたんだから俺、TSUTAYAの前で」
やつい「だからもう笑ったもんな、『芸人5人以上で帰って下さい』って言われて」
(スタジオ笑)
片桐「言われんだよ、シアターDで、大人が、『1人で帰らないで下さい』つって、狩られるからって」
やつい「『やだやだ、エルトンゴータカーズとは帰らないよ』とか言ってね」
(スタジオ笑)
片桐「あ~、懐かしい」
やつい「『お前は狩られやすいから』とか言って」
今立「超人気あったしね」
片桐「うん、格好良かったね」
今立「そう、女に囲まれちゃうと目付けられちゃってね」
片桐「ヤバいもんね、『アイツら芸人だ』つってね」

ところで片桐さんは、地下芸人時代にスーツ着て漫才をやっていたと語っています。でもラーメンズといえばコントです。何がきっかけでスタイルが変わったのでしょうか。

その答えは、雑誌『TV Bros.(テレビブロス)』で行なった対談にありました。

広告批評 274号(2003年9月号)

広告批評 274号(2003年9月号)

バナナマンのネタに感動してコントの素晴らしさに気付いたラーメンズ

2014年2月15日発売『TV Bros.』(東京ニュース通信社)

表紙は羽生結弦さん。「青山ワンセグ開発」特集のなかで、鴻上尚史さんと対談した片桐さん。「オンバト」で人気が出る前のラーメンズについて次のように話しています。

片桐 (中略)それまでラーメンズは漫才で、しかも僕がツッコミだったから「あいつがツッコミかよ」みたいな感じだったし、舞台に出たときに聞こえるのは「イヤー!」っていう悲鳴だった。

そして、鴻上さんに同世代の芸人は誰なのか聞かれて、

片桐 バナナマンとかバカリズムです。だいぶ前ですが、今は無き渋谷の小劇場「ジャン・ジャン」に、ラーメンズ2人でバナナマンを見に行ったんですよ。イッセー尾形さんを見て、その後にバナナマンを見て。それで「なんだこれ!」「コントいいな~」って。だからバナナマンがいなかったらラーメンズ解散してました

ボキャブラブームが過ぎ去り、ネタ番組といえば「爆笑オンエアバトル」ぐらい。次のお笑いブームが訪れるのはもうちょっと先のこと。そんな狭間の時代を生き延びてきた芸人の話を、もっといろいろ聞いてみたいです。