笑いの飛距離

元・お笑い芸人のちょっとヒヒ話

弱ったときに助けてくれるのは余裕がある人ではなく、同じ状況にいる人

前回は「負け顔を見せることの大切さ」について書きました。負け顔を見せていれば、「自分の弱さがどうしようもなく大きくなったときに、誰かが近くに寄り添ってくれるんです、助けてくれるんです」と。

でも疑問があります。その「誰か」とは、一体どんな人なのか。自分が弱っていた頃の体験を杉作J太郎とピースの又吉直樹がそれぞれ語っているのですが、もしかしたらそこに答えがあるのかもしれません。なぜなら2人が導き出した答えがほぼ一緒だったからです。

杉作J太郎「状態が悪いときに助けてくれるのは状態が悪い人なんです」

吉田豪『サブカル・スーパースター鬱伝』(徳間文庫カレッジ)

取材相手は杉作J太郎。
聞き手は吉田豪。

「サブカルというか文系な有名人はだいたい四〇歳前後で一度、精神的に壊れがち」。この仮説を検証すべく、プロインタビュアーの吉田豪さんが12人の「サブカル・スーパースター」たちに話を聞いていった本です。

杉作J太郎さんの鬱の原点は、FMWというプロレス団体で仕事をしていた時期にあると言います。ディレクTVとの契約が切れてからギャラの支払いが徐々に遅れていき、ついには未払いとなり、その状態が1年以上も続いたあとに会社から「辞めてくれ」と告げられてしまったのです。

杉作 (中略)やっぱり生活ができなかったから、このままだと厳しいなっていうのはあったんですけど、逆にいざ「辞めてくれ」ってなるとキツかったですよね。ある日突然、生活の七割がたやってたことがなくなるわけだから……。それで、やることがなくなったわけですよ。

ただしこのときは鬱ではなく、ぽっかりと穴が空いた寂しさだったと話す杉作さん。そして、この空白の時間を埋めるために「男の墓場プロダクション」を設立し、映画制作に乗り出します。でも、なぜ映画なのでしょうか。

執筆で毎週の締め切りに追われたり、連載終了や雑誌休刊で突然仕事がなくなったり、とにかく発注される側にいるのは精神的にしんどい。だったら発注する側で、締め切りも長く、自分の好きなジャンルで仕事しよう。そういった理由で、映画を作ることにしたわけです。

すると吉田豪さんは「そんな活動でJさんは救われたのかと思えば、今度は最大の鬱の波がくるわけじゃないですか」と切り出して、確信に迫ります。

綾波レイ「あなたは死なないわ」

杉作 その理由は言えないんですけど、一言で言うとコンスタントに作っていくはずだった映画がもう二~三年ブランクが空いてるってことは、そういうことですよ。頓挫したりとか、撮り終わってるけどこれ以上作業ができない作品がいくつかあるんで、さすがにここまで作業が止まるとヘコみましたね……。

舞台挨拶で言葉が出てこない。気が付いたら漫画喫茶で天井を3時間も見つめていた。初対面のスタッフに突然「死にたいんですよ……」と言ってしまう。

そんなどん底の状態にいた杉作さんを救ったのが、「エヴァンゲリオン」のパチンコでした。

——『ジェノバ』、ホントいい作品でしたけど、あれを見てもわかるように杉作さんの中でアニメの占める割合が増えてくるわけですよね。
杉作 そうそう。『エヴァンゲリオン』のパチンコに助けられてね。やっぱり、状態が悪いときに助けてくれるのは状態が悪い人なんです。綾波って状態が悪いじゃないですか。
——死のうと思ってたJさんがパチンコやってたとき、綾波に「あなたは死なないわ」って言われて生きようと思った話もありましたよね。
杉作 ずいぶん聞いてるセリフだし、それまでパチンコやってるときも普通に出てた言葉でしたけど、本当にキツいときにそれが出ると別の意味に聞こえるんですよね。もっと直接的な。

杉作さんは、吉田豪さんに「気持ちがすごい落ち込むのは周りが楽しそうなときなんですよ」と伝えていました。なんか分かる気がします。

続いて、又吉さん。

サブカル・スーパースター鬱伝 (徳間文庫カレッジ)

サブカル・スーパースター鬱伝 (徳間文庫カレッジ)

又吉直樹「余裕がある人が助けてくれてるわけじゃないんです、割と同じような状況の人が助けてくれるんです」

2015年10月30日放送「小さな旅 東京スペシャル」(NHK)

司会は山田敦子、国井雅比古。
ゲストは又吉直樹、壇ふみ。

2020年のオリンピックに向けて変わりゆく東京を特集した番組です。

18歳のときに大阪から東京にやって来た又吉さん。憧れの作家・太宰治が住んだ三鷹市にアパートを借りて、芸人人生をスタートさせました。ところが吉本の芸人養成所(NSC)を卒業してプロになったものの、仕事はほとんどありません。

下積み生活を余儀なくされた又吉さんにとって、東京は「ただ冷たく居づらい街」に過ぎませんでした。

又吉「会社員の方とすれ違ったり、学生さんとすれ違ったりして、みんな学校行ってる、会社行ってる、社会とちゃんと繋がっているじゃないですか、僕なんかほっといたら3日ぐらい誰ともしゃべらへんみたいなこともあって、なんか……声出るのかな? と思って、歩きながらひとりで『あ~』って言って、『あっ、出た』とか、そんな次元やったんで」

もともと社交的な性格ではないので、鬱屈した思いを溜めこんでは、ひとりで近所の井の頭公園に行って発散していたそうです。

年配の女性「お兄さんね、ホストなりな」

又吉「簡単に言うと泣いたほうが楽じゃないですか、泣かへんよりは、でも泣いたら変なヤツやと思われますし、泣かんようにするじゃないですか、自分の器のなかにそういうストレスみたいなものを溜めこんでるわけじゃないですか、ここ来たら、叫ばずともちょっと漏れていく感覚があるんですよ」

しかし又吉さんの考え方に変化が生じます。井の頭公園で見知らぬ人たちの優しさに触れたことで。

ある日、公園のベンチに座っていたら年配の女性が声をかけてきました。(女性のセリフは又吉さんが再現)

女性「隣、いい?」
又吉「ああ、どうぞどうぞ」
女性「お兄さんね、ホストなりな」
又吉「僕、しゃべるの苦手ですよ」
女性「いや、『隣、いい?』って言って、『いい』って言う優しさ持ってるから大丈夫だよ」

孤独なのは東京という街のせいではなくて、自分が心を開いてないだけではないか。

そんなことを薄々ながら気付き始めた又吉さん。別の日の深夜、井の頭公園をいつものように散歩していたら、ベンチで若い女性3人がケーキを囲んで誕生日を祝っている姿が目に入ってきました。

勇気を出して「おめでとうございます……」と声をかけます。その言葉に怯える女性たち。深夜に見知らぬ男性がいきなり話しかけてきたのですから当然でしょう。でも、それがきっかけで交流が始まり、その女性たちは又吉さんの舞台に足を運んでくれるようになったそうです。

又吉「その子らは……なんて言うんですかね、すごくフラットに接してくれましたからね、ひとりの人間として、皆が皆、別に敵じゃないというか、皆が皆、敵のように感じているのは、やっぱ僕に責任があったというか……」

見知らぬ人たちの優しさに支えられながら、お笑いの仕事も少しずつ増えていきました。

又吉「重要なのが、むちゃくちゃ余裕がある人が助けてくれてるわけじゃないんです、割と同じような状況の人が助けてくれるんですよ、なんか……それが大きいですかね、そういう出会いがなければ、もうやってられないですよ、ふふっ、そういうのがあったから、やっぱ運はいいですよね」

その後に出したエッセイ集『東京百景』で、又吉さんは東京についてこんな風に表現しています。「東京は果てしなく残酷で時折楽しく稀に優しい」。