笑いの飛距離

元・お笑い芸人のちょっとヒヒ話

スムーズに行かない道を選ぶと面白さが待っている

自分が目指していた場所じゃないところで成功する。

私がずっと応援していて一番好きなお笑い芸人、ウッチャンナンチャンとダウンタウンがこの形に近いのではないでしょうか。

ウッチャンナンチャンは就職先が無くて「お笑いスター誕生」のオーディションへ

2005年1月14日放送「ウンナンタイム」(TBSラジオ)

パーソナリティはウッチャンナンチャン(内村光良・南原清隆)。

お笑い芸人になったきっかけを話すウンナン。

内村「最初が、え~、『お笑いスター誕生』というですね」
南原「そうです、まあ元々ね、20年(2005年当時)もやろうと思ってませんでした」
内村「うん」
南原「なっ」
内村「あの~、就職先がなかったもんですから」
南原「いや、本当に」
内村「へへへっ、当時ですね」
南原「どこに行っていいのか分からない、さまよっていたんです」
内村「うん」
南原「専門学校と言っても、映画の専門学校でね、別に『じゃあ君、明日からウチの事務所に来て、映画に出てくれ』って、ないから」
内村「そんな甘いもんじゃないよね」

映画学校のカリキュラムになぜかあった漫才の授業。そのときの講師だった内海好江師匠に「お笑いスター誕生のオーディションを受けてみなさい」と言われて、

内村「まあ、オーディションを受けてみっか、っていう」
南原「そうそう」
内村「結構、まあダメだったら、思い出作りだな!みたいな感じでね」
南原「俺はそう思ってなかったけどな」
内村「あはははっ!」
南原「やってやるよ!俺は、天下統一だよ!」
内村「はははっ!お前、微塵も感じなかったわ」

それぐらいの気持ちで臨んだ「お笑いスター誕生」で優勝し、お笑いの道に進むことになったウンナン。

ダウンタウンは高校卒業して1年間遊びたくて吉本のタレント養成所NSCへ

1998年6月6日放送「いろもん」(日本テレビ)

司会はウッチャンナンチャン(内村光良・南原清隆)、笑福亭鶴瓶。
ゲストはダウンタウン(浜田雅功・松本人志)。

お笑い芸人になったきっかけを話すダウンタウン。

南原「一度就職したでしょ?」
松本「え~、結局ギリギリで辞めた、あの~、誘われて」
浜田「うん」
松本「コイツ(浜田)がどうしても『吉本行こう』って、僕はね……あっ、そうそう!これ言いたかったんや」
鶴瓶「うんうん」
松本「『吉本行こう、吉本行こう』って誘われたんですよ、僕そんときに、あの~なんやったかな?印刷工の就職がもう決まってたんですよ」
南原「あ、試験受けて、通って」
松本「そうそう」

すでに就職先が決まっていた松ちゃん。しかし、

松本「それ(就職)をとりあえず断った」
鶴瓶「うん」
松本「ほんで、(浜田を指しながら)『芸人なろう』って」
浜田「いや、だから、『1年間遊ぼうや』って言うて」
南原「高校卒業してすぐでしょ?」
浜田「そうそう、養成所(NSC)入ったら1年間、まあ遊べるやんか、俺は3年間ずっと寮におったわけやから」
鶴瓶「遊びたかったわけや」
南原「就職もしたくなかった?」
浜田「そうそうそう、ほんで、『遊ぼうや~』って、そんな別に(松本を指しながら)本人かて、就職するのもアレやし」
松本「まあまあ、そう、一応親への言い訳にもなるし」

1年間遊びたいという理由でNSCに入学。在学中に漫才コンクールで賞を取ったりして、ダウンタウンもお笑いの道へ。

そして数年後、ウンナンとダウンタウンはフジテレビのコント番組「夢で逢えたら」で共演。この番組で一気に知名度を上げて、お互いが冠番組を持つほどの売れっ子芸人になっていったわけです。

数は少ないでしょうが、「こういうことがあるのはなんでだろ?やっぱ才能と運かな?」とか考えたりした時期がありました。私はどちらもファンなんで。で、このあいだ放送されたウッチャンがゲストの「A-Studio」を見たら、そのヒントをちょっともらった気持ちになったんです。

お笑いが好きなヤツは売れたいだけのヤツをいずれ抜かす

2013年3月22日放送「A-Studio」(TBS)

司会は笑福亭鶴瓶。
アシスタントは本田翼。
ゲストは内村光良。

ウッチャンは、自身が監督した映画『ボクたちの交換日記』の宣伝もあってのゲスト出演。その映画を鶴瓶さんは絶賛した上で、後説のひとり語り。

鶴瓶「例えばね、芸人になるのにしてもそうやけど、『売れたい、売れたい』と思うヤツと、それから『いや、お笑いが好き』なヤツは、絶対に、売れる売れへんよりもお笑いが好きなヤツがいずれ抜かすんです、ええ、だから今、十何年やってもポンッと開花するヤツいっぱいおるでしょ?ね、ウッチャンの場合は中学生の頃から映画監督になりたかった、その流れでその、芸人をやり、そして、お笑いが好きになって」

なんとも言えない表情で聞いているウッチャン。

鶴瓶「だから映画が好きで、芸人が好きで、お笑いが好きな人間が撮った映画なんですよ、芸人の……コレねぇ、芸人をねぇ愛情たっぷりに、もうクローズアップしてるこの映画、是非観ていただきたい、こういう映画を撮る内村に私は憧れます」

番組の冒頭でしていた、ウッチャンの鶴瓶さんには憧れない話。これに繋げた見事なオチ。最後に笑いを取って立ち去る鶴瓶さん。格好よかったです。売れたいから芸人をやっているのか、お笑いが好きだから芸人をやっているのか、その差。

鶴瓶さんの話を聞いたときにもう1人、頭に浮かんできた芸人がいます。さまぁ~ずの三村さんです。

スムーズに行かない道を選ぶと、そこには面白さが待っている

2005年7月19日放送「さまぁ~ず げりらっパ」(メ~テレ)

レギュラーは、さまぁ~ず(大竹一樹・三村マサカズ)。

専門学校の生徒の前で講義をすることになった、さまぁ~ず。生徒から「お笑いになる夢と同じぐらいやりたかった夢はありますか?」という質問に答える三村さん。

三村「今こう、微妙な時期なんだね、その19、20(歳)は」
生徒「やりたいことがいっぱいあって、どうやって決めたのかな?っていう」
三村「え~、僕はね、お笑いをあんまり、やろうと思ってなかったんです、本当、もうあの~、緊張しぃだし、あがり症だし、今こんな人前でしゃべってることがまあ、あり得ない」

お笑い芸人になるつもりはなかった三村さん。

三村「で、高校卒業してフラフラしてたんです、バイトやっちゃ辞め、1回洋服屋さんに就職したこともある、皆さんみたいにファッションにちょっと興味があって、そういうのもやってたんだけど、その場しのぎだよね、別に今後、40歳になっても洋服屋やってるかな?って思ったら、まあ、その想像ができない、20歳ぐらいのときに」

しかし、他にやりたいこともなかった。

三村「ふとね、誘われたの、お笑いに、そのとき洋服屋かお笑いだったの多分、俺の中で、そんなに食いついてない洋服屋と、そんなに食いついてないお笑い、ね、全然違うでしょ?すごいやりたいことがいっぱいある人と全然違うでしょ?全部やりたくなかった、本当は家でずっと寝ていたかった」
(生徒笑)
三村「でもどっちかそろそろ、ちゃんとしないといけないのかな?と思いつつ、で、フラッとお笑いをやり出したら……どヘタだったんですよ、ま~頭の中のイメージと、動きとしゃべりがこんなにかけ離れてて、こんなことあるのか!?と思った、なんにもできねえな俺、で、俺より年下の19(歳)のヤツがね、上手いことコントやってたりするのを、ネタ見せとかで見ているわけ、これ……上手いこと行かない感じが、なんかこう辞めさせられなくなったというか、絶対スムーズに何かできるまで、これ(お笑い)やろうかな?みたいな、だから、これスムーズにできます、これスムーズにできないっすっていう、どっちの職業か迷ってるときはスムーズにできない方を勧めたいと思います」
大竹「ふふふっ」
三村「そのほうが頑張るから、で、スムーズにできる方は、多分30歳になってもスムーズにできるから、こっち(できない方)本当にダメだったら、こっち(できる方)行けばいいわけで、あんま……これ大丈夫かな?っていう方に行った方が、面白いと思います」

最後に「俺、良いこと言った!」と言って、照れる三村さん。

お笑いの世界に入ってから面白さに気付き、どんどんお笑いが好きになっていった。だから最初はどヘタだったけど、追い抜いて開花した。鶴瓶さんの話を聞いて、そう理解するようになりました。

選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 (文春文庫)

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最後に、精神科医・名越康文先生のコメントを紹介させて下さい。この話に関連すると思うので。

天才は自分の得意分野で勝負しない

2012年7月5日放送「なんだ君は!?TV」(TBS)

司会はオードリー(若林正恭・春日俊彰)。
密着した人物は成田童夢。
レポーターは、しずる(村上純・池田一真)。
コメンテーターは名越康文(精神科医)。

スノーボードでオリンピックに出場した成田童夢さんに、しずるが密着。成田童夢さんは子供の頃から声優になりたかったと言います。

しずる村上「なんでその声優の方に行かず、スノボーの方に行ったんですか?」
成田「まず父親に相談したんですよ、自分自身はこの声を使ってなんか仕事をしたいと」
しずる村上「はい」
成田「そのためにはどうすればいい?『だったら有名になればいいじゃないか』と」
しずる池田「ほぉほぉ」
成田「有名に……どうやって?『オリンピック出ろ』と、分かりました、オリンピック出たら有名になれるから声優の道にも行けますね」

呆気にとられるしずる。父親にそう言われて猛特訓した結果、本当にオリンピックに出場。

密着レポートが終わり、名越先生にコメントを求めるオードリーの若林さん。

若林「名越先生」
名越「いや、これは深いなと思って」
若林「うん」
名越「あのね、天才っていうのは自分の得意分野で絶対に勝負をしない人って話があるんですよ
若林「ええっ!」
名越「それは本当に臨床的にそうで、本当は俺はこういうことでは別にやりたくなかった、みたいな人が天才として残ってる人がすごい多い」
若林「へぇ~」
名越「それは何でか?って言ったらね、まさに童夢君みたいに、それが目的じゃないわけでしょ?その途中経過なわけでしょ?だから手を抜かないんですよ」
若林「はぁ~」
名越「それから本当に好きなことって主観的になって、客観的な目線がないから失敗しちゃうわけ、世の中って本当そういうところありますよ」

名越先生の話を横で聞いていたのが、出川哲朗。

出川さんの学生時代の夢は役者でした。三國連太郎さんを目指していましたが、現在はリアクション芸人として確固たる地位を築いています。なので、名越先生の話がすんなり入ってきたんですよね。私は、出川さんは天才だと思っているので。