笑いの飛距離

元・お笑い芸人のちょっとヒヒ話

麻生太郎の漫画好きキャラを見出したのは水道橋博士

先日、私は「水道橋博士のラジカントロプス2.0」(2012年10月15日放送分)を聞きながら、江戸川の河川敷を散歩していました。

水道橋博士オフィシャルブログ「博士の悪童日記」に書かれた内容について、歌う放送作家の植竹公和さんが詳しく聞く。

そういったラジオだったのですが、とにかく濃くて面白かったです。放送時間内にこれでもか!と詰め込んだトーク。中断せず最後まで一気に聞きたくなったので、いつもの散歩コースから外れて遠回りして、聞き終わってから家に着くようにしたほど。それぐらい夢中になりました。

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そこで今回は、このラジオを聞いた後に思い出した話を紹介させて下さい。

水道橋博士が青年漫画を読むきっかけとなったのが麻生太郎

2007年5月1日配信「博士も知らないニッポンのウラ」(ミランカ)

司会は水道橋博士と宮崎哲弥。
ゲストは見城徹。

番組の最後、幻冬舎代表取締役社長の見城さんに質問します。「次に狙っている表現者は?」と。すると、麻生太郎さんの名前を挙げます。

博士「麻生太郎さんを(番組に)出したときに、麻生太郎さんは漫画が好きだって話、少ししか出てなかったんですよ」
宮崎「うん」
博士「それが俺達の番組に出てたときに、麻生さんの漫画好きについて話し出したら、とにかくイギリス留学中もその~、ジャンプ、チャンピオン、キング……週刊誌全部を船便で送らせてたと」
宮崎「ほ~」
博士「だから30年以上、日本の漫画雑誌を読み続けたんです、毎週」
見城「すごい、すごいよね~」
博士「その事実だけでもすごいじゃないですか、それを語ってたんですけど」
見城「極端だよね~」
博士「そのときに、ふと俺がね、『あの~、麻生さんってそれ、本棚を見せたことありませんか?』って言ったんですよ」

この博士の一言に、「なんでお前知ってんだ!?」と食いつく麻生さん。

博士「文藝春秋に、青年会議所の会頭……福岡の時代に、その~、青年会議所の会頭がこれだけ青年漫画が好きだっていう本棚をやったグラビアがあったんですよ、それをきっかけに俺は青年漫画を読み出すんですよ、手塚治虫だとか」
宮崎「うん」
博士「『きりひと讃歌』とか、そこに並んでた本」
宮崎「『人間昆虫記』」
博士「うん、そういうのを、だからそれで覚えてたんです、で、麻生太郎に『なんでそんなの覚えてるんだ!?』って」
見城「異常な記憶力だよね、だけど」
博士「いや、それはでもね、偶然(頭の中に)降りてきたんです、それが一致するとは思わなかった、そこから漫画談義をガーっと始めて、それがあまりにも面白くて、今度ビックコミックの編集部がインタビューして、それが全部麻生さんのホームページに……」
宮崎「うん」
博士「だからもし総理大臣になったときに、英訳なんかされてね、その人間性を計るアレになるんだろうけど、そのスクープをしたのは俺だっていう」
見城「なるほど」

博士の異常な記憶力が、麻生さんの漫画好きキャラの定着に貢献したのですね。

そのことを書いた「博士の悪童日記」があります。

水道橋博士が薦めた『BORN TO RUN』を読んで私は散歩を始めた

2005年11月8日更新「博士の悪童日記」(ライブドアブログ)

車中、DVD落としで「アサ秘ジャーナル」の
麻生太郎出演分、未編集分、総チェック。
漫画マニアぶりを語っているのだが面白い!

放送していない部分だが、
俺が青年漫画を読む、キッカケとなったのが、
文藝春秋のグラビア記事。
昭和53年、麻生氏が、青年会議所会頭時代の記事なのだ。

ミランカは「内村さまぁ~ず」も配信していました。そういった繋がりで、「博士も知らないニッポンのウラ」も一緒に見ていたんですね。そのおかげで、水道橋博士さんと宮崎哲弥さんからいろんなことを教わりました。まさに「私も知らないニッポンのウラ」を。

そもそも私が江戸川の河川敷を歩くようになったのも、水道橋博士さんが薦めていた『BORN TO RUN』を読んだことがきっかけです。^^;