笑いの飛距離

元・お笑い芸人のちょっとヒヒ話

くりぃむしちゅー有田に言われてクリーム色のジャケットを着た土田晃之

現在発売中の単行本『splash!! vol.4』で、渡辺正行さんとバナナマンが対談しています。対談内容は「ラ・ママ新人コント大会」の歴史を振り返る。

「ラ・ママ新人コント大会」は、コント赤信号のリーダー渡辺正行さんがプロデュースしているお笑いライブです。渋谷のライブハウス「ラ・ママ」で行われていて、若手芸人の登竜門的存在。1986年1月24日に始まったこのライブが、2012年8月31日で300回目を迎えます。これまでウッチャンナンチャン、爆笑問題、オードリーといった数多くのスターを輩出してきました。バナナマンもそのなかの1組です。

今回の対談の中でボキャブラブームの頃のお笑いライブの状況について、バナナマン設楽さんが次のように振り返っていました。

ボキャブラブームの頃のお笑いライブの状況について

2012年7月21日発売『splash!! vol.4』(双葉社)

発言者はバナナマン設楽。

「ラ・ママ新人コント大会300回記念 バナナマン×渡辺正行(コント赤信号)」から。

ボキャブラブームのときに俺らはネタやってたんですけど、ほかの人がトークだけで出たりするライブも増えてきて。そうするとやっぱテレビの人気者たちを観に来てる人たちだから俺らがネタをやる時間になると一番前の女の子とかが舞台上にジュース乗っけて喋ってるんですよ。こっちを一切見ないで。これダメだなぁって。

これを読んで、土田晃之さんがゲストに来たときの「バナナムーンGOLD」を思い出しました。

くりぃむしちゅー有田の戦略と柔軟性

2011年10月21日放送「バナナムーンGOLD」ポッドキャスト(TBSラジオ)

パーソナリティはバナナマン(設楽統・日村勇紀)。
ゲストは土田晃之。

バナナマンと土田さんはほぼ同期で、若手の頃から「ラ・ママ新人コント大会」など都内のライブでよく顔を合わせていました。仲も良くてデビュー当時からお互いのことを知っている関係です。ちなみに土田さんは以前「U-turn(ユーターン)」というコンビで活動していました。

土田さんはテレビでの自分のポジションをすでに確立しているとバナナマンは分析します。

設楽「ツッチー(土田晃之)、でもなんか、どんどん確立している気がするんだよね」
日村「俺も本当そう思う」
設楽「だってもうさ、なんか落ち着いたクリーム色のジャケットとか着て出てる」
日村「あはははっ!」
土田「はははっ、いやそうだね、クリーム色のジャケット着るね」
設楽「でしょ」
日村「着てるよね」
設楽「もうさ、違うじゃん」
日村「分かる、同い年の芸人さんとは思えない」
土田「そう、でも確かに(年齢が)同じぐらいの人のなかでは、ちょっと上にやっぱ見られる」
設楽「で、俺、前に聞いたことある、『そのほうが説得力があるじゃん』つったわけ」

クリーム色のジャケットを着るきっかけは、くりぃむしちゅー有田さんなのだそうです。

土田「でもね、そのジャケットもアリペイ(くりぃむしちゅー有田)に言われたの
日村「あっ! へぇ~」
設楽「有田さんとかやっぱ、そういう分析力すごい」
土田「いや、アリペイはね、本当若いころからスゴかったもん」
日村「うん」
土田「俺1回しかプライベートで、さしで会ったことないんだけど、ガハハ(GAHAHA王国*1)んときだったの」
日村「そんな前!?」
土田「そう、で、なんか知らないけど誘われて飲みに行って、千歳烏山のアリペイのマンションに行ったの」
設楽「ほぉ」
土田「そんとき朝まで寝ずにお笑いの話をしてて、『実は俺らはバカ爆走!(「人力舎」主催の若手お笑いライブ)でフリートークを始めた』と」
日村「あったねぇ!」

ライブでフリートークを始めたのは、ある戦略があっての行動でした。

テレビに出るのに必要なのはネタではなくてフリートーク

土田「その~、(有田)『これからテレビでネタでは勝負できない、トークができないとダメだから』って、『でもお客さんは金払って来てんだから、ネタやんなかったら失礼だと思う』って言ったら」
日村「うん」
土田「(有田)『それ西尾(X-GUN)さんもおんなじこと言ってた、でもな、バカ爆走!なんてたかが20人ぐらいの客だ、俺らはアイツらにつまらないと思われてもこの先、1億の人に面白いと思われないといけないから』って言ってて」
日村「うん」
土田「『なるほど!』と、『じゃあ、俺もフリートークやる』つって、で、みんなフリートークをやるようになって」
日村「やり始めた、やり始めた」
設楽「俺らだけバカみたいにネタやってた」
(スタジオ笑)
日村「俺らネタやってたもん」
土田「だから、でもそれで『バカ爆』は、フリートーク聞けるのはあそこだけだって客が増えた」
設楽「俺らそれで、一切『バカ爆』出なくなった」
日村「やめたの」
土田「あっ! そうなんだ」
日村「そう、『もう無理だ』つって」

フリートークをするライブ。土田さん(U-turn)は参加して、バナナマンは距離を置いた。ここで両者の進む道が分かれていきます。

くりぃむしちゅー有田のキャラクターは萩本欽一演出の舞台で作られた

土田「アリペイはね、すごく考えてて、東八郎さんの13回忌公演の舞台に呼ばれたときも」
日村「うん」
土田「アリペイがのちに言ってたのは、東MAXが台本書いたのね、で、萩本欽一さんが演出したんだけど、ぶっちゃけそんときは、こんな古いこと……と思ってたと」
日村「あ~」
土田「で、おんなじ時期に、アンタッチャブルとアンジャッシュとくりぃむ(しちゅー)で、横浜かなんかでライブやってた」
日村「やってたねぇ、うん」
土田「それは、最先端のことやってたのね」
日村「うんうん」
土田「でも、終わってみたら、残ってるのはコッチ(東八郎の舞台)だと、ベタだと」
日村「ほぉ」
土田「やっぱベタじゃなきゃダメだと、だから今のアリペイのキャラって、その舞台のときのキャラクターなの
設楽「なんか言われたんだよね、萩本欽一さんにね」
土田「そう」
設楽「あの~、ちゃんとやろうとしないほうがいいってね、それで変わったんだよね」
土田「そう、あのいい加減な感じが良いって、で、急にその後、『明石家マンション』とかでアリペイはあんな感じになっちゃったから、『どうしちゃったの?』と思って言ったら、(有田)『ツッパってる感じなのは受け入れられない』と」
日村「うん」

TIMゴルゴ松本さんも、最初のコントで演じたキャラがそのまま自分のキャラとして定着したそうです。実はそういう芸人って多いのかもしれません。

コンビのバランスを考えて報道番組もやるくりぃむしちゅー上田

設楽「有田さんって、俺も一緒になんかレギュラーとかやらせてもらったことあるけど、俺がつくづく感じたのはオールラウンドプレイヤーっぷりがすごいなと思って」
土田「うん」
設楽「これは突出してると思った、ある種」
日村「あ~」
設楽「動きとかトークとか、基本ね、グラフにしたときの数値が限りなく(正)五角形に近いって言うか、オールラウンドプレイヤーなんだよね、バランス感覚がすごい」
日村「なんでも行けるね、ホントあの人は」
土田「なんでも行ける、で、お笑いがすっげぇ好きだから」
日村「好きだよねぇ」
土田「だから上ピョン(くりぃむしちゅー上田)がまた偉いのが、『有田はお笑いが好きだから、俺がこういうことやらなきゃいけないんだ』みたいなことで、いろんなほら、真面目な番組やるじゃない」
設楽「うんうん」
土田「で、そう思って、上ピョンやってるんだけど、意外にジェラシーをアリペイに抱いてたりする」
(スタジオ笑)
土田「(上田)『稼ぎが違うんだよ!』ってすげぇ言うから、ふふふっ」

テレビでの活躍が認められて、くりぃむしちゅーは冠番組を持つまでになりました。このときに有田さんの衣装がスーツに変わったそうです。

番組のMC(司会)を務めるようになってから衣装をスーツに変えた有田哲平

土田「でも、そのアリペイがMC(司会)に行くようになったときにスーツ着てて、『なんか、くりぃむ、スーツなんだ』って言ったら、(有田)『お前な、いつまでもチェックのシャツとか着てたらダメだ、そんな浪人生みたいな格好してたら』」
設楽「あっ、そこに繋がるわけ!?」
土田「もうだから、説得力がない」
日村「はぁ~」
土田「(有田)『お前は落ち着いてる芸風なんだから、お前ジャケットぐらい着なきゃダメだ』って言われて」
日村「なるほど」
土田「確かにな……と、こんな浪人生みたいな格好じゃダメだなと思って、スタイリストさんに『ジャケットを着たいです』と、で、それからずっとジャケットを着てたの」

くりぃむしちゅーは常に自分たちの一歩先を歩いていたと土田さんは述懐します。

そして土田さんもテレビに出るためトークの勉強を始めます。当時、くりぃむしちゅーが出ている番組を全部録画してチェックしていたそうです。でもそれは、テレビに行くしか道がなかったから。バナナマンにネタで勝負しても勝てないから。

ボキャブラブームに乗らなかったバナナマンは賢い

2011年10月21日放送「バナナムーンGOLD」(TBSラジオ)

パーソナリティはバナナマン(設楽統・日村勇紀)。
ゲストは土田晃之。

「ボキャブラブームから遠いところにいたバナナマンを土田さんはどう見ていたのか?」といった内容の質問がリスナーから来て、

土田「賢いって思った」
日村「もうその当時から?」
土田「そうそう」
日村「え~」
土田「だってそんときだってもう、ボキャブラのファンが増えちゃって、各ライブ、ネタを聞かなかったじゃん、ワーキャーで」
日村「聞かないね」
土田「それこそバナナマンが出てきたって、知らない! みたいな感じになって」
日村「そうなの」
設楽「ひどかった、ジュース飲みながらずっとしゃべってんだもん、一番前の真ん中で」

バナナマンを賢いと思った理由について。

土田「そういうのも見てたけど、やっぱ、所詮ブームだと俺はずっと思ってたから、その前にテレ朝で『GAHAHA王国』って番組があって、そんときに1回調子乗らせてもらったの」
日村「あはははっ」
土田「各ライブ、パンパンになって、ファンもいっぱいついて」
設楽「いや、すごい人気だったよ」
日村「めちゃめちゃ人気あったもん!」
土田「ね、『GAHAHA』ですっげぇいい思いしたのに、『GAHAHA』の番組が終了した3ヶ月後に、太田ライブスカスカになったの」
日村「『GAHAHA』終わった3ヶ月で!?」
土田「3ヶ月で、で、事務所のほうから『チケット手売りしてこい!』って言われたときに、『ハァ?』ってなって」
日村「TGF! TGF(東京ギャグファクトリー*2)は?」
土田「TGFなんてどんどん……」
設楽「TGFのときはすごかった」
日村「すごかったよね!」
土田「最初だけよ、最初は(原宿)クエストホールかなんかで旗揚げ公演やったけど、その後はどんどんこじんまりした場所になって」
日村「あ~、そう」

「GAHAHA王国」でブームの終焉を一度体験しているから、ボキャブラブームのなかにいても浮かれずにいられた土田さん。

バナナマンとネタで勝負しても絶対に勝てない

ボキャブラブームの影響でお笑いライブを取り巻く状況が変わっていったことに設楽さんが触れると、

土田「でもそのときも、俺らとか、それこそX-GUNとかもみんなそうだけど、ネタがどんどん荒れてくるじゃない」
日村「うん」
土田「で、営業みたいなネタになってきちゃったから、そのなかでバナナマンは完全に軸がブレてなかったから、『あ~こういう人たちは強えわ』と思ってた
(スタジオ笑)
設楽「その頃から?」
土田「うん、思ってた」

ボキャブラのあたりから土田さん(U-turn)も、ライブでネタがウケなくなっていった。作家が付いてネタを一緒に作ったりもしたけど、それを舞台で上手く表現できない。

ある日、そんな悩みを相談していた作家の前田昌平さんと一緒に「ラ・ママ」のライブを観に行くことに。

土田「ネタ見せのあとに、(前田)『お前、ちょっとこのあと、なんか用事あるのか?』って言うから、『あ、僕ちょっと、ラ・ママにライブ観に行こうと思うんです』つって」
日村「うん」
土田「(前田)『じゃあ、俺も行くわ』って、前田さんと2人で行ったのよ」
日村「うん」
土田「そんときにバナナマンがネタ終わった瞬間に、前田昌平ってのが俺にパッと一言言ったのが、『俺が言ってたのはああいうことだぞ……』」
(バナナマン爆笑)
土田「だから俺は横で、『はい、分かってます……』」
(バナナマンさらに爆笑)
日村「『分かってます』って言ったの? おお、嬉しいなぁ」
土田「だからそんときから俺はもう、バナナマンのネタのクオリティの高さは分かってたから! 俺はもう早い段階でネタでは絶対敵わないから、テレビに行かなきゃ! と思ったわけ
(聞き入るバナナマン)
土田「アンジャッシュもそうだったし、ネタ面白いなぁと思ってたから、もうネタで一緒にやってたらこの2組には絶対敵わないから、もうテレビのほうに行かなきゃ! と思ったし、あとアリペイとかが『テレビでネタをやる機会はない』と、『しゃべりが上手にならなきゃ』って話をされたときに、あっ……マジでそうだなって思って、で、ちょっとしゃべることを意識しながら」
日村「あ~、勉強してったんだ」

土田さんは客観的な視点も大きな武器になったのでしょう。バナナマンも30歳過ぎあたりで「内村プロデュース」に何度も呼ばれたことで考え方が大きく変わっていきました。そして今では、土田さんとバナナマンどちらもテレビで大活躍しています。

最初に紹介した単行本『splash!! vol.4』には、水道橋博士さんとマキタスポーツさんの対談も掲載されています。そのなかで博士はこんなことをおっしゃっています。

splash!!vol.4

splash!!vol.4

  • 作者: 太田光,バナナマン,渡辺正行,東京03,水道橋博士,マキタスポーツ,博多大吉,ナイツ,ジャングルポケット,チョコレートプラネット,後藤輝基,山里亮太,若林正恭,久保ミツロウ,能町みね子,樋口毅宏,宇多丸,2700,パンサー,THA BLUE HERB,田我流,相場英雄,入江悠,富田克也,KEN THE 390
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2012/07/21
  • メディア: 単行本
  • クリック: 17回
  • この商品を含むブログ (9件) を見る

テレビに出続けるということは世間の中に溶けていくこと

2012年7月21日発売『splash!! vol.4』(双葉社)

発言者は水道橋博士。

「特集『空気を読むってなに?』 水道橋博士×マキタスポーツ」から。

だから才能の突出を認められたら、そっから才能を屹立させていくことじゃないんだ。テレビに出続けるということは、尖った鉾をおさめて逆に世間の中に溶けていくことなんだよ、って思うのよ。

その例として、「笑っていいとも」のタモリさんを挙げる博士。

私は大きく頷くと同時に、くりぃむしちゅーの姿を思い浮かべました。「尖った鉾(ほこ)=邪悪なお兄さん」に見立てながら。

*1:1994年4月から1995年3月まで放送されたバラエティ番組。主な出演者に爆笑問題、フォークダンスDE成子坂、ますだおかだ。

*2:1995年に開催されたGAHAHA王国出身のお笑いユニット「東京ギャグファクトリー」による合同ライブ。メンバーはネプチューン、海砂利水魚、底ぬけAIR-LINE、X-GUN、ノンキーズ、ピーピングトム、そして、U-turn。