笑いの飛距離

元・お笑い芸人のちょっとヒヒ話

若林正恭と内村光良がプライベートで飲んだ2015年春

前回は「50代を迎えた内村光良が今抱えている悩みとは?」について書きました。

そのなかで、オードリー若林正恭とウッチャンナンチャン内村光良がプライベートで飲んだ件を、余談として軽く触れました。でも余談で済ますのはちょっと勿体ない。記事を書いたあとにそう思ったので、今回はこのエピソードを掘り下げます。

オードリー若林「レジェンドでトートバッグ持ってる人を初めて見た」

2015年4月26日放送「オードリーのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)

パーソナリティはオードリー(若林正恭・春日俊彰)。

「スクール革命」収録後、若林さんはウッチャンの車に乗せてもらったと言います。

若林「で、焼肉屋に連れてってもらったんだけど」
春日「うんうん」
若林「水色のカーディガン着ててさ、トートバッグ、で、レジェンドでトートバッグ持ってる人を初めて見たんだけど
(スタジオ笑)
春日「うん、まあ好きなんだろうね」
若林「でさ、『こっち』つって、内村さん(車から)降りて、トートバッグ見えるじゃん、左手に何か抱えてるから、『何抱えてんのかな?』と思ったら、初めてだね、俺、芸人でB4ぐらいのサイズの茶封筒持ってる人」
(スタジオ笑)
若林「あの~、紐でこうクルクルって返して、留める封筒を」
春日「あ~、あるね、ボタンみたいなやつ」
若林「働いてる人が持ってるやつ、トートバッグと茶封筒、水色の……くふふっ」

さまぁ~ずを彷彿とさせるウッチャンのトートバッグイジり。つまりこの会話から、両者の距離がいかに近いかが読み取れます。

飲み会が開かれたのは、ちょうど春の改編期でした。テレビのレギュラー番組が終わったり、新たな番組が始まったりする慌ただしい時期。お互いレギュラー番組をたくさん抱えている売れっ子芸人ゆえか、自然とその話題になったそうです。

若林「改変時期で、いくつ始まっていくつ終わるみたいな話もちょうどしてて、で、『ずっと順調ですもんね』みたいな、『すごいですよね』みたいな」
春日「うん」
若林「『いやいや、そんなことないって』みたいな話から」
春日「うんうん」
若林「内村さんが40(歳)ぐらいって言ってたかな? あの~、1回、ラジオ1本になったときがあるって言ってたね
春日「ええっ!?」
若林「そんなことある?」
春日「40(歳)ぐらいって、10年ぐらい前でしょ」

ウンナンにはホームと呼べる番組がありません。とんねるずにとっての「みなさんのおかげでした」、ナイナイならば「めちゃイケ」、ダウンタウンだったら「ガキの使いやあらへんで」のような長寿番組が。

他の大御所芸人みたいに大きな城を構えず、住む場所を定期的に変えながら新たなファンを獲得してきたのがウンナンです。だからちょっと異質な存在と言えるでしょう。

ウンナンが40代に突入しようかという時期に、「ウリナリ」「笑う犬」「気分は上々」「内村プロデュース」といった人気番組が軒並み終了してしまいました。そのあと「内村プロデュース」は特番などで何度か復活するのですが、ある企画を観ていたときに切ない気持ちになってしまったのです。

「内村プロデュース」の特番を見て切ない気持ちに

2006年5月8日放送「内村プロデュース」リアル性格王どっきり決定戦SP(テレビ朝日)

司会は内村光良。
アシスタントは安めぐみ、山本梓。
出演者は、さまぁ~ず、TIM、劇団ひとり、FUJIWARA、ペナルティ、インパルス、レイザーラモンHG、なかやまきんに君、ふかわりょう。

2時間の特番で復活した内Pで、様々などっきりを芸人たちに仕掛けていきます。そのなかでウッチャンが仕掛け人となったのが、「皆と記念写真撮ってました どっきり!」。出演者の仕事現場に出向き、気付かれないよう背後に回って記念写真と撮ってくるという企画でした。

レッド吉田がロケしている温泉地や、レイザーラモンHGの営業現場など、各所に出向いて行くウッチャン。その姿を見たとき、時間に余裕があるからこそできる企画だということに気付いてしまったのです。そして記念写真が増えていくたび、切なさが増していきました。

当時のウッチャンの心境について、若林さんが飲み会で尋ねています。

レギュラーの仕事がラジオ1本になったときの内村光良の心境

2015年4月26日放送「オードリーのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)

パーソナリティはオードリー(若林正恭・春日俊彰)。

若林「だから、ちょうどレギュラーの番組があってさ、で、ありがたいことに幾つかあるわけじゃん、俺ら」
春日「うん」
若林「それがさ、全部のタイミングが重なったらさ、全部なくなるわけじゃん、俺らの仕事って」
春日「まあそうだね」
若林「ね、なんかタイミング合っちゃって、多分そういうときって来ると思うのよ、絶対、将来」
春日「うんうん」
若林「そんな話をしてたときに、『あ~、あったなぁ』みたいな話して、で、ラジオ1本だけだったって話してて」
春日「へぇ~」
若林「『マジっすか?』みたいな、『そうそうそう』みたいな、『じゃあ、ずっとトーク溜まるから、ラジオめちゃめちゃテンション高かったんじゃないですか?』って言ったら」
春日「うん」
若林「『いや……なんかそうでもないんだよね、そういう時って』みたいな」
春日「へぇ~、変わらないんだ」
若林「でもなんか別に、何もブレなかったっていう話で、格好いいな~と思った話なんだけど」

「内P」特番でのウッチャンのどっきり企画を見返すと、確かに悲壮感もないしテンションが高いわけでもありません。普段と変わらないウッチャンがいました。オードリーのおかげで、あの当時に抱いた切ない気持ちを払しょくできた気がします。もちろんそのあと復活を遂げることを知っている今だからこそ、そう思えたのかもしれませんが。

人生という名の列車

人生という名の列車

話を本題に戻しましょう。

ウッチャンの話を受けて、ではオードリーにとってホームと呼べる番組は果たして存在するのでしょうか。

オードリーにとってのホームは?

春日「例えばさ、これが我々が地方の出だったらさ、地方でなんか番組をやらせてくれたりってパターンがあるじゃん」
若林「うん」
春日「その地元の、そこだけは残ってるみたいな、なんか結構よく言うじゃないですか、それもないでしょ?」
若林「はい」
春日「埼玉と東京だからさ」
若林「いやでもね……まあ、ホームってことだよね?」
春日「ホーム、そうそう」
若林「1個だけある気がするけどな……」
春日「そう? だって埼玉と東京だよ」
若林「いや、『NFL倶楽部』は」
春日「くふふっ」
若林「俺たちの冠番組」
春日「オードリーの、確かに『オードリーのNFL倶楽部』だもんね、うん、ただあれ半年しかやんないからね、9月~2月だからさ、ふふふっ」

このエピソードを聞いて、ある疑問が残りました。飲み会で改変期の話題になったとはいえ、なぜウッチャンは40歳のときにラジオ1本しか仕事がなかった話を若林さんにしたのでしょうか。

ここからは完全に私の妄想になります。

飲み会と「ミレニアムズ」深夜降格の時期が重なる

飲み会が開かれたのが、2015年春。そして2015年春の改変期に起きた出来事といえば、「ミレニアムズ」の深夜降格です。

オードリーが参加している「ミレニアムズ」は、いわゆるフジテレビが得意とするお笑いユニット番組で、しかも放送時間が土曜日の23時。つまり「夢で逢えたら」と同じ時間帯。状況的に「めちゃイケ」に引導を渡すのは「ミレニアムズ」かもしれない。否が応でもそんな期待を抱かせる番組でした。

ところが放送開始から半年後、まさかの平日の深夜帯に降格。放送時間も縮小され、しかも全国ネットから関東ローカルへ。確かに首をひねりたくなる場面が多かったとはいえ、あまりにも早い決断に驚きました。と同時に、フジテレビは何がしたんだという怒りも覚えました。

「ミレニアムズ」でリーダーを務めていた若林さんは、深夜降格の件をウッチャンに相談したのではないか。それを受けて、ウッチャンは同じぐらいの年齢のときに仕事がラジオしかなかったことを伝えて、若林さんを励ましたのではないか。もっと言うと、若林さんはこの件を相談したくてウッチャンとの飲み会をセッティングしたのではないか……そんな妄想をして、勝手に胸を熱くする土曜の夜でした。