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笑いの飛距離

元・お笑い芸人のちょっとヒヒ話

屋上に行けば何者でもない存在になれる

お笑い以外

私は、休憩時間を屋上で過ごすことが多いです。なんか一番リラックスできるんです。
外の空気を吸えるから。景色を望めるから。近くに気を使う上司がいないから。屋上が落ち着く理由をいくつか考えてみても、多少のモヤモヤが残ります。屋上でなければならない理由としては弱く、自分で説明できない状態がもどかしい。
でも、そのモヤモヤは2年ほど前に消えました。社会学者の宮台真司さんが、理由をズバッ!とラジオで言ってくれたのです。「何者でもない存在としてそこに居られるから」と。

東京空気公園―誰も知らない穴場満載、東京公園お散歩ガイド

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公園は「都市のスキマ」としての機能することが重要

2010年9月17日放送のTBSラジオ「荒川強啓 デイ・キャッチ!」。

金曜日の「デイキャッチャーズ・ボイス」担当は、社会学者の宮台真司さん。その週に起きたニュースを解説するコーナーです。
この日は、渋谷区にある宮下公園の命名権問題を取り上げました。このニュースの解説から「公園とは何か?」という話題に。

宮台「公園って、どういう場所なんだろう?ということです」
荒川「はい」
宮台「昔から映画を見ると公園っていうのはね、じいちゃんがボーっと日向ぼっこしてたりだとか、あるいは、それこそホームレスっていうかね、職を失った人がそこでベンチにね、うずくまって、時間を過ごす場所であったりっていう風にして描かれてますよね」
荒川「はい」
宮台「で、これって結構大事なことなんじゃないだろうか?」
荒川「ほぉ」

ここで宮台さん、屋上について言及。

宮台「僕は以前、もう20年ぐらい前になるけど、屋上というのはどういう場所か?昔、屋上っていうのは特殊な場所だった、つまりスキマだったんですね
荒川「うん」
宮台「教室は学ぶ人、廊下は歩く人、校庭はスポーツする人、つまり何かをする人じゃないと居ちゃいけない場所なんだけど、屋上は何をする場所でもないので、簡単に言うと、何者でもない存在としてそこに居られるんですよね
荒川「ほぉほぉ」
宮台「で、それが大事、つまり居場所として意味があるのは、屋上がスキマだからなんですよね」

公園も同じだ、と。

宮台「実は公園っていうのもそうで、そこで例えばね、バスケットボールやんなきゃいけないとか、ローラースケートやんなきゃいけないとか、ナニナニしなきゃいけないとかっていう風に言われない、ただ、スペースがあってベンチがある、そういう場所だから人々にとって憩いの場所なんじゃないでしょうか?」
荒川「うん」
宮台「公園っていうのは、都市のスキマとしての機能が重要なんじゃないでしょうか?

しかし、世の中はその「スキマ」を排除するようになった、と宮台さんは指摘します。

14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に

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我々は管理者責任を問うようになり、スキマがなくなった

宮台「やっぱり皆さん考えていただきたいのはね、僕は1980年がひとつ分水嶺だったと思うんですけど、その社会に、あるいは地域にスキマがあるっていうことをね、人が許さなくなっていくんですよ」
荒川「うん」
宮台「それを僕は、旧住民が新住民に、置き換わっていく中で生じた動きだと思っているわけ」
荒川「はい」
宮台「っていうのは、実際、79年なんだけど隣人訴訟っていうのが起こって、隣の人に子供を預けておいたら池にはまって死んだので、隣人を訴えたら、まあ世間中大沸騰した、どう沸騰したか?というと、『ふざけるな、何訴えてるんだ』って話だったんだけど、まっ、あっという間に、それを訴えるのが当たり前だって変わっちゃったんですよね」
荒川「ええ」
宮台「その流れの中で、実は、その土地を知らないでやってきた新参者であるところの新住民が力をますます持つことになると、それを背景に『店舗風俗を排除しろ』とかってなると新風営法に繋がっていくし、『暴力団事務所を排除しろ』ってことになると、これが暴力団新法、これは92年に施行されますが、繋がっていくわけですね」
荒川「うん」
宮台「あの〜、理屈は分かるよ、でも、昔の旧住民は必ずしもそうは反応しなかった、自分たちの地域でそれぞれのモノがどういう風に機能してるのかってのが分かっていたので、杓子定規には考えなかったんですね、あるいは、もっと分かりやすい言い方をすると、ここでも以前言いましたね、用水路にはまって子供が死ぬ、僕が子供の頃よくあった、工事現場で穴掘ってて、穴が埋まって死ぬ、よくありました」
荒川「うん」
宮台「そのときにね、すぐ設置者責任問われましたか?そうじゃなかった、多くの場合『だから危ないって言ってただろ』っていう風に」
荒川「うんうん、そうだね」
宮台「子供達に言う、っていうメッセージがあった」

アイスバーンの道路なのにガードレールがない海外の例と比べながら、

宮台「つまり、ある時期から我々はね、管理者責任を問うことになった、そうしたら何がなくなったか?スキマなくなったんですよ
荒川「うん」
宮台「ね、きっちり管理しろってことで、放課後の校庭開放なくなった、箱ブランコ撤去された、用水路は全部暗渠(あんきょ)になった」

私は気が弱い人間なので、あらゆる場所で、人に迷惑をかけない存在でいようとする意識が過剰なんだと思います。だから、屋上に行って、何者でもない存在になることで得られる解放感が手放せないのでしょう。
今の職場が長く続いているのは「屋上があるから」っていうのも、実は大きな要因なのかもしれません。