笑いの飛距離

元・お笑い芸人のちょっとヒヒ話

「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!」の頃にあった余韻

「フジテレビ開局50周年記念DVD ウッチャンナンチャンのやるやらフォーエバー 誰かがやらねば!やるならやらねば!傑作選」の発売日、12月25日がいよいよ迫ってまいりました。
そこで今回は、かなり昔の番組なので細かいことまで覚えていないんですが、「誰かがやらねば」の思い出を少々語らせて下さい。

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「誰やら」の新しさに興奮

「夢で逢えたら」でウンナンとダウンタウンの大ファンになり、毎週欠かさず番組を見るようになりました。その後、それぞれメインの番組を始めるんですが、ダウンタウンの「ごっつええ感じ」は、夢逢えのフォーマットを引き継いだコント番組。何て言うんですか、安心感。今田東野に130Rの魅力も加わって、ダウンタウンの天才さに毎週唸る日曜日でした。
一方のウンナンは、「とんねるずのみなさんのおかげでした」の代役として半年間、まさに番組のタイトル通り「誰かがやらねば」を始めることに。この番組を最後まで固辞したのがウッチャンでした。代役でもちゃんとした番組が作れないならやらないと。結局、吉田正樹さんがなんとか説得して番組は始まったのですが、この番組を最初に見たときの衝撃は今でも体に残っています。番組内容をウィキペディアから引用すると、

菅井きんが大家をしているアパート、メゾンド・キンで同居する放送作家の内村光良とテレビ局のアシスタントディレクターである南原清隆の部屋を舞台に、部屋を訪れるアパートの住人やゲストとともに番組オリジナルの面白いビデオを見てトークをする。

って感じで毎週生放送。木曜9時放送のため、前の番組がプロ野球で延長されることもありました。そして、ある日のプロ野球が放送延長してもまだ試合が続いていたとき、

1990年5月24日は野球中継「中日対巨人」が延長し放送開始が30分繰り下がり、さらに試合が続いたため、野球中継を出演者全員で見るという内容になった。ちなみに試合が長くなったのは、両軍入り乱れての乱闘があったため(詳細は水野雄仁の項目を参照)。その様子も出演者のリクエストによりリプレイされた。その為、EDテロップも途中から表示となり、放送できなかったコーナーは翌週に放送された。

このときの放送を見ていましたが、番組のコンセプトと生放送を活かした、けど、なんて思い切ったことをするんだと興奮のドキドキが止まりませんでしたね。そして、ウンナンは時代の最先端を走ってると感じて、ガチガチのウンナンファンへと私は変化していったのでした。

今の時代に「誰やら」を作ったら

よく考えてみると、スタジオに芸能人やタレントが集まってVTRを見てワイワイ言う「誰かがやらねば」の番組スタイルって、別に斬新なわけでも無いんですよね。
今の時代にそのような番組を作るとなると、コンセプトに基づいた家のセットは作らずにMC席とひな壇席を用意する。そこに放送作家とかの役割を持たせずに芸能人をズラっと並べる。ビデオテープを持って部屋にあるデッキにセットしてからVTRが始まるのではなく、「VTRどうぞ」と言えばすぐさま映像は流れ出し、右下に小さなワイプに芸能人の表情を映し出す。
結果、今では本当によく見る番組スタイルに落ち着く。そんな風に思いました。
予算の問題もあるのでしょうが、作りこみの深さが圧倒的に違うから今でも「誰かがやらねば」は、私の中で色あせずに心に留まっているんでしょう。

昔のバラエティ番組には余韻があった

最後に、ウンナンタイムでナンチャンがその当時のバラエティ番組について語っていたことがとっても印象的だったので、こちらも紹介させてください。お互いが自分の中での名曲をかけて語り合う名曲ソングスペシャルの回で、ナンチャンが「やつらの足音のバラード」(アニメ「はじめ人間ギャートルズ」のエンディングテーマ)をかけた後、

南原「『やつらの足音のバラード』、レコードバージョン」
内村「あっはっはっはっ」
南原「これ、3分36秒、ふっふっふっ、はじめてだな〜、レコードバージョンってあったんだ」
内村「ふっふっふっ」
南原「いや、何が言いたいかってね、昔のテレビとかってさ、最後さびしい曲で終わったじゃん
内村「うん、タイガーマスクしかり」
南原「そう、いいことばっかりじゃないよと」
内村「うん」
南原「今我々の番組でも言われるわけですよ、『やるやら』やってたときも」
内村「うん」
南原「最後こう、ちょっとこう、センチメンタルな曲で終わるじゃないですか」
内村「うん」
南原「今日一日が終わるよ、っていうような」
内村「うん」
南原「これがね、(番組終わった瞬間)『次はナントカです』とかね
内村「あ〜、終わりがね」
南原「なんかテンポが速くなってる、余韻が無い
内村「私は、淀川さんがやってた日曜洋画劇場の」
南原「うん」
内村「エンディングにかかるピアノの曲が、すごいなんか日曜の終わりを感じさせて、あんな楽しかった日曜日が現実に戻っちゃう、あのピアノのメロディーで」
南原「それがね、やっぱ芸なんだよね」
内村「うん」
南原「パッとこう・・・、まあ落語にしても最後こう、パッとこう『ありがとうございました』と切り替えたときに、あっ、あれは今までのは現実じゃなかったのね、とかそういう・・・、この余韻が無くなった」
内村「うん」
南原「なぜなら数字が落ちるから」
(内村とあんちゃん笑)
南原「そこで数字落ちるから」
内村「あっはっはっはっ」

なんかナンチャンのこのときの話にハッとさせられて、考えさせられました。
どっちが良いかって問題じゃなく、私は「誰かがやらねば」をやっていた当時のテレビを見て、テレビってこういうものなんだと刷り込み、洗脳されてますので、そんなつもりはないかもしれませんが、ナンチャンの今のテレビに対する嘆きを勝手に感じてしまったのでした。^^;
だから狂言、落語、社交ダンスという舞台のほうに目が向いてるのかな〜、とこれまた完全な私の中の妄想ですが。
とにかくクリスマスに届くはずの「やるやらDVD」を見ながら、あのときの気持ちを再確認する日が楽しみでなりません。